2008/11/02

渥美さんは放哉ファン…『まぼ台』の上映はじまる

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

 朝礼後に近くのタバコ自販機でお気に入りのラーク12ミリ(赤箱)を購入していたら、見知らぬ男性がニコニコしながら近づいてきて「タスポを貸してくれ」と声をかけてきた。

 特段不都合なこともないので「いいですよ」と快く応じて貸してあげた。こういうのを「助け合い」ならぬ「タスポ合い」とでも言うのだろうか、と一人ごちながら帰途についた。

 朝日新聞1日付けの『ニッポン人・脈・記』なる連載コラムを読んでいたら、「フーテンの寅さん」こと渥美清さん(平成9年没)と、脚本家の早坂暁さんの最初の出会いについて触れていた。

 詳しくは同紙を読んでいただきたいが、人と人との「出会い」は時として「運命的」でもあり、また「いいかげん」でもある。そこがまた「面白い」のであるが - 。

その渥美さんが優れた俳人だったことは有名な話であるが、「季語」に縛られない自由律俳人の尾崎放哉(おざき・ほうさい)を演じたがっていたことが語られている。

放哉は鳥取県生まれで(明治18年)で一高・東大を出た典型的なエリートだったが、途中から完全にドロップアウト。その生き様は同じく自由律俳人の種田山頭火(山口県防府市出身)とよく比較される。

 筆者がその存在を知ったのは昭和50年代、仕事の関係で徳島県に居た頃。当時、足繁く通ったバーのオーナー(佐賀県鳥栖市出身)から教えてもらった。

 放哉終焉の地は、島原半島とも縁の深い香川県小豆島である。ちなみに、山頭火が息を引き取った庵も、同じ四国の愛媛県松山市内にある。

 渥美さんが希望した放哉のドラマは突然、テレビ局の都合で山頭火に変更されることになった。ところが今度は、渥美さんが間際になって出演をキャンセル。「寅さんのイメージが重たすぎる」というのがその理由だった、という。

 そうか、そうした経緯で、あのNHKドラマでの山頭火役はフランキー堺さん(平成8年没)だったのか…。当時の熱演ぶりを懐かしく想い起こしながら、今更ながらに驚くことしきりだ。

 ところで1日から『まぼろしの邪馬台国』が全国一斉にロードショー公開されている。島原半島でも2日の島原文化会館を皮切りに、5会場で上映が予定されている。

 弊社でもチケットの販売を行っているが、駆け込みで買いにくる人も多い。「いくらかでも島原半島の宣伝になれば」との思いから、筆者も出来得る限りの協力はしてきたつもりだ。

 その思いが配給会社に伝わっているのかどうか知らないが、各種メディアを通じた宣伝活動は極めて活発なようだ。地元の皆さんにも是非ご覧になっていただきたい!!

 ただ色々あって、個人的には「咳をしても一人」(放哉)の心境である。