2008/11/12

筑紫哲也さん逝く…島原・講演後に火事騒ぎも

‐(株)ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

筑紫哲也さんの訃報は出張先の鹿児島で聞いた。「マルチジャーナリスト」といった表現はないのだろうが、新聞、雑誌、テレビと、それぞれ趣の異なる「メディアの壁」を軽々と跳び越えていった生き様は、素敵である。

『荒城の月』の作曲者として知られる滝廉太郎(大分・竹田市出身)が大伯父であったことは、何かの折に読んだ月刊誌の巻末コラムに紹介されていた。もう随分と昔の話だ。

当地との関係でいけば、普賢岳の噴火災害当時、島原青年会議所が開いた「シンポジウム」に特別講師として顔を出されていたことを思い出す。

確かその時は、まだ早稲田の学生だった頃に伊豆半島で起きた水害の調査に出向いて行った際の「体験談」を語られたはずだ。そう言えば、打ち上げの反省会の最中に「火事騒ぎ」もあった。

直接お話を伺ったことはないが、九州訛りが抜け切れない、目を細めての温和な語り口には好感が持てた。恐らく、豊富な取材体験と知識量に裏打ちされた「自信のようなもの」をお持ちだったのだろう。

『ニュース23』はTBSの看板報道番組だが、その前にキャスターを務められていた『日曜夕刊こちらデスク』というテレ朝の番組にも早くから注目。欧米の著名人を相手に繰り出す「流暢な英語」でのインタビュー姿にはいつも憧れていた。

ただ、オウム真理教報道では、後輩のフリージャーナリスト江川紹子さんにやり込められたこともあるというが、「TBSは死んだに等しい」という名セリフを発して会社への改悛(かいしゅん)を求めたことも記憶に新しい。

何よりカッコ良かった。専属のスタイリストが付いているのだろうが、年齢を重ねるごとに渋みを増し、服装のセンスも隙(すき)がないほどに洗練されていた。

番組名物の「多事争論」は一日の終わりを締めくくるに相応しい「テレビ版コラム」で、ひたすらニュースの「ショーアップ化」を図った他局のキャスターとは歴然とした違いを見せていた。著作については『メディアと権力』(新潮社)くらいしか読んだことがないが、改めて読み直してみたいと思う。

時あたかも、島原市は市長選モード。昨夜も立候補予定者2名による「公開討論会」が開催され、CATV&FM双方で生中継された。

もちろん、選ぶ権利は市民(有権者)に帰属するもの。それを投票前にメディアがどうこうしてはいけない。だから「生」のままの放送であるし、再放送分も決して編集はしない。

今の気持ちとしては、筑紫キャスターが来日時のクリントン大統領(当時)をスタジオに呼んで実現したような「為政者と一般市民との公開討論会」が実現できれば、と思う。もちろん「生で」だ。