2009/01/23

議会は言論の府!!…新大統領に見る「言葉の力」

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

新聞もテレビも、オバマ、オバマ、オバマ…の大合唱である。各種報道によれば、首都ワシントンに集まった人出は、何と200万人とか。

支持率は8割を超え、世界中の人々が歴史的なニューヒーローの誕生を祝った。バラク・フセイン・オバマ。47歳。「バラク」という言葉には「祝福」の意味が含まれている、という。

なぜ人々はこれほどまでに熱狂するのか。ある新聞論調は「時代の要請」という表現を使って、その因果を説明している。裏返せば、それほどまでに現代社会は混迷の度を深めている、ということだ。

往々にして欧米の政治家の吐く言葉は哲学的だ。生来の宗教的な裏付けがあるせいだろうか、何かしら考えさせるものがある。

「翻訳」という過程を経ているせいかも知れないが、同時に「我が国政界は…」との忸怩たる思いが免れないのも事実だ。

先般の参議院予算委員会で民主党の石井一副代表が行った質問のあり方(品位)が、改めて問われている。テレビ中継をご覧になった方ならすぐに想い出されるであろう「あのシーン」のことだ。

いわゆる「漢字テスト」問題。同議員は文藝春秋誌に掲載された麻生総理の論文から抜粋した漢字熟語12文字を、持参したフリップを掲げて「ご自分で書かれたのなら読めるでしょう」と、皮肉たっぷりに迫った。

かりそめにも一国の総理に対して、である。筆者も即座に「これはやばいなあ…」と感じたが、案の定、同じ思いを抱かれた方も大勢おられたようで、「党内外から批判が相次いだ」と産経新聞が報じている。

同議員には雲仙・普賢岳の噴火災害時に、請願団として色々と相談に乗ってもらった経緯もあるので、複雑な思いでそのやりとりを眺めていた。

ところで、国会審議にこうしたフリップ類が登場するようになったのは、いつ頃からだろうか。分かりやすいと言えば分かりやすいが、テレビ中継に毒され過ぎている側面も否めないのでないか。

今さら言うまでもなく、中央・地方を問わず議会は「言論の府」である。したがって「言葉そのもの」を唯一無二の武器にして戦うべきであって、「小道具」を前面に押し出すような手法はいただけない。

もっと言うなら、最近の日本の政治家には「言語による表現能力」が欠けているのでないか。その点が〃新大統領〃との大きな隔たりである。

日本文化独特の「腹芸」も大いに結構。でも、政治活動の基本が「言葉」であることに、誰も異論はあるまい。ましてや、事は経済だけに留まらない。今や政治も国際社会を見据えた動きをしなければ大きな過ちを犯すことになる。

「イエス・ウイ・キャン」。漢字もいいけど、皆さん、もっと英語の勉強もなされては!?