イエス・ウイ・キャン…で「その目的」は一体?
‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐
地獄の一週間であった。来る日も来る日も「新年会」が続いたのである。そして、きょう土曜日がいよいよ打ち止めだ。ただし、長崎市内まで出向かなくてはならない。
「体調」はさして悪くはないが、すこぶる「快調」と言うほどでもない。思うに、その日の「気分」は天候次第だ。曇天や雨の日は憂うつになりやすいが、今日のように快晴となれば、俄然元気も湧いてくる。
「天気晴朗なれど波高し」とは、昔懐かしい「テレビ番組」(名前は失念)冒頭のナレーションだが、ネットで調べていたら、俳優、中村雅俊さんのブログタイトルでもある、という。
就任演説に200万人もの聴衆を集めた、米国第44代大統領、オバマ政権の華やかな船出にも、この言葉は不思議なほどピッタリと当てはまる。
長身でハンサムな若き大統領(47)がひとたび「イエス・ウイ・キャン」とうそぶけば、「時代の要請」というスポットライトの向こうにうごめく「幻影」の存在を信じて、世界中の人々は「我が意を得たり!!」と絶叫する。
確かに「絵になる光景」である。「そう信じたい気持ち」もひしひしと分かる。「是非そうあってほしい!!」とも願う。ただし、だ。「キャン」という助動詞につながる動詞というか、「目的語(節)」の存在がいかにも危うい。経済の建て直しなのか、戦争の終結なのか、はたまた強いアメリカの再現なのか…。
注意すべきは、この眩いばかりの「雰囲気」の余波だ。「高揚感」の後に「虚無感」が控えてはいまいか。「結果」を急げば急ぐほど「焦り」が生じ、「失策」にもつながりかねない。
「大統領」は、政界の最高責任者であると同時に、「軍の司令官」でもある。「統」という漢字を訓読みすれば「すべる」。くれぐれも「上滑り」してもらっては困る。
幸い、オバマ氏は「冷静な性格の持ち主」と伝えられているので、「よもやの事」はあるまいが、「目的」はハッキリとすべきである。ひょっとしたら、その数が余りに多すぎて、表しようがなかったのかもしれない。
言い方を換えるなら、「統べる」立場である以上は、「迂闊(うかつ)なことは口に出せない」というジレンマ、トリレンマ…のせいであろうか。
ならば、それぞれの自治体、企業、国民等々が「明確な目的意識」を持って動くことが重要になってくる。大統領や総理の職責はそれらを統括することだ。それぞれの立場で「何ができる」のか?まさに「ケネディ精神」の真髄がそこにある。
昨日歌った『春が来た』という文部省唱歌に感動した - 《♪山に来た、里に来た、野にも来た♪》見事なまでの「目的語」の表記ではないか。早く日本にも世界にも「春」が来ますように!
0 Comments:
コメントを投稿
<< Home