2009/02/11

「合掌」よもやま話…漢検協会に立ち入り検査!?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

昨日の原稿の結びで「合掌」とすべきところを「合唱」とやらかしてしまった。面目ない。お詫びして訂正したい。さて、その「合掌」の話だが、記憶を遡れば、この言葉を初めて耳にしたのは、高校時代の合宿の時である。

要するに、食前・食後の「いただきます」「ごちそうさまでした」の際に皆で手を合わせることだが、号令を聞いて急に大人になったような気がしたものだ。

当然のことながら、葬儀では「合掌」をする場面が多い。と言うより、信心深い人は、始めから終わりまで正座をしたまま、その姿勢を崩さない。

昨日の葬儀では席が最前列だったため、導師の方々の「一挙手一投足」に注目していた。そして、あることに気付いた。

素人考えでは、「合掌」と言えば、数珠をかけた両手をひたすら合わせて拝むことだが、壇上の導師のそれは明らかに異なっていた。三人が三人とも何かしら力が抜けているというか、小指と薬指のあたりが微妙に交錯しているのだ。

それが「宗派」の違いであるものかどうか、知らない。ただ、新たな「謎」として発生したので、今度ご住職にお会いした時でも訊いてみようと思う。

ところで、我が家の玄関口に、亡くなった伯母のご主人(快光院先代住職)から頂戴した色紙が飾られている。そこには漢字四文字が書かれているのだが、崩し字のため、正式な読み方が分からない。

意図する所は「両の掌(たなごころ)を叩いた際に出る音は、はて左右どちらからの発生か」という、何かしら〃禅問答〃のようなものだった、と記憶している。

エーイ「間違いついでだ」と思い、正確な読みを調べようと挑戦してみたが、文頭の文字が「阿」なのか「破」なのか、また「犭」偏に「隹」と付く字がどうしても解明できない。そうこうするうちに、「孤掌鳴らし難し」という諺が「韓非子」(功名)にあった。

「片方の手だけで手の平を鳴らすことはできない」から転じて、「人は一人きりでは何もすることができない」という教えだった。

なるほど、これで合点がいった。「昔の人は何とも巧い事を言うものだ」「漢字の世界は実に奥深い」―。なーんて、感慨に耽って新聞を開いてみたら、日本漢字能力検定協会の本部(京都市)で文部科学省の立ち入り検査が行われた、とのニュース。

記事を拾い読みすれば、「財団法人」でありながら莫大な利益を生み出した挙句に、会長の私的な関連会社をつくってそれを操作していた、という内容。

別段、儲けること自体は怪しからんことではないと思うが、やはり私腹肥やし(?)はいけない。よもやこの会長さん、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という格言をご存知なかったか。検定でいけば、3級程度の問題だと思うが…。