2009/03/28

「美しい十代」は嘘!?…16歳男が悩む相対性理論

「○○病って知っとーや?」「なん、そいは?」「○○校じゃ女子ん少なかけん、普通ん娘(こ)でん、やっちゃ綺麗かごて見ゆっとげな」「へー!!」 - 。

聞くとはなしに聞いてしまった「16歳男子高校生の会話」に、思わずふき出してしまった。これも思春期における相対性理論(?)の一つであろうか。

諺に「掃き溜めに鶴」という表現があるように、周囲の環境によって(悪ければ悪いほど…)、美貌はさらに際立つもの。これが「世の道理」である。

その意味でいくと、筆者の青春は「真逆の状況」にあった。何せ私大英文科と言えば「女の園」の代名詞。丁度、国文学者の暉峻(てるおか)康隆先生が「女子大生亡国」をぶち上げていた時代であったが、右を見ても左をみても女、女…。

しかも皆さん、「才媛」の誉れも高く、日々勉学に勤しんでおられる風情。とてもとても、田舎出のアンちゃんが手に負える相手ではなかった。

今でも癒し難い「心の傷」として記憶に残っている、あるシーンを思い出す。時節は5月半ばだったか。幾度かのクラスコンパを通じて、名前と顔が一致し始めた頃だった。

「ねえねえジュリさん、ノートば貸してくれんね」 - 。当方としては当然、「オッケー!!」の二つ返事を期待していたのだが、あにはからんや、振り向きざまに「甘いわよ!!」とはき捨てられてしまった。

言われてみたら確かにそうではあるが、もっと言い方もあるだろう。三田明が唄っていた「美しい十代」の世界(2番)は嘘っぱちだったのか…。

〈♪昨日習ったノートを君に、貸してあげよう、やさしい君に、つらい日もある、泣きたいことも、あるさそれでも、励ましあって、美しい十代、あゝ十代、抱いて生きよう、幸せの花♪〉

正直、その頃は「女のいない世界」に憧れていた。モテナイ男にとって「女の園」は苦痛でしかない。結果、必然的に「男おいどん」(サルマタケ)の世界が待ち受けていた。

例の一件から次第、次第に学校への足は遠のき、バイト中心の生活に。たまに学校に行く時は、敢えて薄汚い格好をして、下駄履きで出かけた。

それでも世の中良くしたもので、「甘いわよ!!」と一刀両断に筆者を切り捨てたジュリさんは、「薄情な可愛いげのない女」としての地位を不動のものにしていた。

十年ほど前に学校近くのホテルで行われた同窓会にも、彼女は出席していなかった。どうしているのだろうか…。確か、旧姓は「木村」と言い、江川紹子さんと同じ県立船橋の出身だった。

話は脱線してしまったが、16歳の諸君、「○○病」より、もっと「劣悪な環境」があることも、是非覚えておきたまえ。以上。