2009/03/06

政治ちゅーもんは!?…明日ありと思う心の…

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

こういうのを「花冷え」というのかどうか知らないが、今日はいつになく「寒さ」が身に沁みる。それでも「春」は確実に近づいてきているようだ。

我が家の庭には杏の老木があるが、ここ数日で一斉に花を咲かせた。淡いピンク色の花びらは梅のようでもあるし、桜も想わせる。時おりメジロやツグミが飛んできては、花びら周辺を啄(つい)ばんでいる。それにしても、長閑(のどか)な春景色である。

音無川の対岸、我が社の斜(はす)向かいの宅地に立つ白木蓮の花ももう満開である。出来たら青空をバックに写真を撮りたかったのだが、生憎の曇り空で気が進まなかった。

それでもシャッターは押した。「明日ありと思う心の仇桜。夜半に嵐の吹かぬものかわ」(親鸞聖人)の心境である。

4日付けの読売・編集手帳の筆者は、違法献金が指摘されている小沢一郎民主党代表周辺の喧騒ぶりを、この古歌をもじって論じているが、何も事は政界に限ったものではない。

1年前、誰がトヨタやソニー、キヤノン等の一連の経営悪化の流れを予想できたか?恐らく皆無であろう。筆者が賢しげに申し述べるまでもなく、世の中は〃事程左様〃に移ろいやすいものだ。

誤解を恐れずに言えば、昔だったら「景気浮揚」のためには、大国はなりふり構わず「戦争」を仕掛けたところだろう。だが、幸いと言うべきか、昨今の人類は一部を除いて、その「愚かさ」「不合理性」等を知り抜いている。

ならば、「次なる一手」(起死回生策)にはどんなものがあるのだろうか。米国のオバマ大統領が打ち出している新エネルギー政策(グリーン・ニューディール)は「信頼」に足るものかどうか…。

ただ、これだけは自信を持って言えることが、一つだけある。それは「地球環境」の問題だ。これまで我々は、「科学」(技術革新)の力を過信する余り、後先を考えることもなく、ひたすら「繁栄」を目指して邁進してきた。

つまり「明日ある」との楽観論のもとに、自然環境には目をくれることもなく「安逸」を貪ってきたのである。まさしくアメリカ型のカードローン社会の崩壊が、その事を如実に物語っている。

石油や天然ガスなどに代わる新エネルギーを創出する必要もあろう。そのための科学的な研究は、どんどん推し進めていってもらいたい。

ただ、その際の「中心」になるべきは、やはり「政治」である。その部分がしっかりしないことには、国や地域の将来も、地球の未来も覚束ない。

小沢代表が「明日あり」と思っていたのかどうか知らないが、この事態を受けての「政治ちゅうもんは - 」(口癖)に続くフレーズを是非訊きたい。