2009/04/21

「花実双美」とはハテ?…秀吉を超えた利休の存在感

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

引き続き、花の話をする。浅田次郎さんが無類の〃花好き〃である理由については前号で述べた通りだが、氏は著作の中で「花実双美」という言葉を持ち出して、しばし薀蓄(うんちく)を傾けている - 。

「京都の古いお茶屋に、明治の元勲の筆になる『花實雙美』という軸がかかっていた。読み下せば、『花も実も双つ美し』である。西洋の合理的な文明を移入することとなった時代に、こうした立派な覚悟を持っていた明治人は聡明である」

少し長くなるが、その薀蓄はさらに続く - 「この名言には、もうひとつの意味も汲み取れる。…(中略)…(御茶屋の妓という者は)見栄えが良いばかりではなく、中身も美しくなければいけません」と。

ふだん何げなく見過している花卉類の美しさに、これほどまでに深い意味を見い出す、鋭き感性。畏るべし、その観察眼!!

と、ここまで書いて、何の脈絡もないが、今年の第140回直木賞を受けた山本兼一氏の作品『利休にたずねよ』(PHP研究所)のことをふと連想してしまった。利休とは、他でもない戦国の世を代表する茶の湯の大家「千利休」のことである。

受賞作は、主君の秀吉によって切腹を命じられることになる利休の〃心象風景〃と、様々な〃人間模様〃を渇いた筆致で描いており、読み終えるのが惜しまれるほど面白かった。

利休は、人生のあらゆる局面において「美の追究」に余念がない。しかも、その〃企て〃は外れることがない。〃天才〃と言っても良いほどの、完璧な美のプロデューサーであった。

一方の秀吉は、信長亡き後の押しも押されもせぬ〃天下人〃だが、どうにも利休の〃才能〃というか、挙措振舞の落ち着きぶりが気に食わない。

自慢ではないが、筆者はこれまで、茶の湯の世界も、利休のことも、全く知る由もなかった。また、興味も、関心もなかった。

同書を読むに当たっては、かえってその「無垢(むく)の心理状態」が良かったのかも知れない。切腹の日から〃逆算〃される章立ても、意表を衝いて素晴らしかった。

残念ながら(?)、すでに読み終えてしまったが、率直な印象を言うと、これは歴史の舞台に名を借りた、壮大で緻密な「人間観察ロマン」である。

権力とは何か、美とは果たして…。筆者の手になれば、天下を治めた秀吉よりも、茶の湯一筋に生きた利休の方が、遥かに魅力的である。

この季節、一歩戸外に踏み出せば、辻々には春の花が溢れ咲いている。こんもりと堆く咲き誇っているのも良いが、路傍の一輪も捨て難い。

少し喉が渇いてきたが、手元には薄茶も濃茶もない。どうやら自販機が手招きしているようだ。嗚呼やっぱ凡人だぁー、俺は。