2009/06/03

クラフトさんの撮影姿…故・橋本恒さんが渾身の1枚

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

何はさておいても6月3日。島原市民にとっては決して忘れることのできない「祈りの日」である。筆者も小雨のそぼ降る中、仁田団地内の「慰霊碑」を訪ね、白菊を手向けてきた。

午前9時過ぎに到着したのだが、すでにお参りを済ませた方も多かったようで、碑前のテーブルにはまだ蕾(つぼみ)姿の白菊の花が層を成していた。

「古里を守る」 - 。その一念で消防の職務に殉じた若き御霊たち。言うなれば、まだまだ人生半ばの「蕾」の段階だった…。遺族ならずとも、その心境を想えば、胸が塞がる。

職に殉じたのは地元消防団員ばかりでない。警察官も、マスコミ関係者も、火山学者も、そしてタクシーの運転手さんもいた。本当に〃あの日〃から18年が経ったのである。

先月中旬、災害当時から大変に可愛がっていただいていた、本光寺町の橋本恒(ひさし)さんが亡くなった。享年満89歳。

筆者の手元には、橋本さんが愛用の「コンタックス」で撮影したポジフィルム1枚が残っている。メモ書きを見ると「平成3年6月2日」とある。

撮影場所は、まぎれもない旧北上木場町の「定点」付近だ。写っているのは、テレビ局中継車両のさらに山側で〃観測〃に没頭している、フランス人のクラフト夫妻一行だ。

橋本さんは、何かと〃器用〃な人だった。包丁さばきは言うに及ばず、カメラの腕前も相当なものだった。また、何より信心深くもあった。

ご本人から伺った、心温まるエピソードがある。大火砕流に巻き込まれて行方が分からなくなったクラフトさんらの「霊」を弔うべく、何と橋本さんは厳重な警備の隙間を縫って、余熱冷めやらぬ「定点」を訪ねた、というのだ。

あれから18年の歳月が経っているので、もう立派に〃時効〃が成立するのだが、その勇気と行動力、溢れる人間味には、今でも自ずと頭が下がる。

奇しくも本年は、日本のNHKと、フランスの国営2チャンネルが、クラフト夫妻の生涯を取りまとめた「特別追悼番組」を制作する予定だという。

先般島原入りしたスタッフから聞いた話通りに事が運んでいれば、間もなく「現地ロケ」が始まる予定だが、その後の状況はまだ掴めないでいる。

橋本さんに対しては、晩年は随分とご無沙汰続きで失礼を重ねてきたが、もちろんその折には、その貴重な1枚を、「クレジット付き」を必須条件として、喜んで贈呈しよう、と考えている。合掌。

  ※    ※

あの日の朝も、こんな雨降りだった。個人的には、たまたま「市議選」の開票明けで休んでいたことで犠牲を免れた、と言える。

もし、人生に「イフ」があるとすれば…。18年という歳月の重みを、今改めて噛みしめている。