あれから18年の歳月…縁あって山口・宇部市まで
‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐
我が庵(いおり)は中町と上の町の中間に位置し、毎朝、お向かいの土井外科胃腸科医院越しに〃お天道様〃を拝んでいる。さしずめ、定点観測の一種のようなものだ。
冬場ご自宅の右側から昇る太陽は、日に日に左方向に位置をずらし、最近では病棟の真上あたりから柔らかな初夏の日差しを運んでくる。いささか爺むさい行為ではあるが、パンパンと拍手を打って今日一日の安堵(あんど)を祈る。
さて、いよいよ今日から6月(水無月)。明後日(3日)は忘れもしない「大火砕流」の日だ。月日の経つのは早いもので、あれからもう18年の歳月が流れるのか…。
個人的なことを言えば、当時幼稚園に通っていた長男はもちろんのこと、まだ満2歳だった次男坊ももう家を出ていない。後に残っているのは、現在高2の三男坊主だけだ。
まだ整理がつかないままに置いている当時のアルバムを捲ってみると、みんな若かった。それはそうだろう、筆者だってまだ35歳だったのだから。今ではその数字の並びが完全にひっくり返ってしまって50代ももう半ば近い。
昨日の日曜日は、長崎まで病気入院中の伯母を見舞に行った。一通り挨拶を済ませてエレベータを降りたところで、災害当時、長崎新聞社のカメラマンだった人とばったり。
先を急いでいたので話もそこそこにその場を立ち去ったのだが、当時の被災現場でのやりとりなどを憶い出して「やさしい風貌になられたなぁー」などと一人車中で懐かしんだ。
今日から2日間は、地場産品の開発(販路拡大)とFM放送関連の打合せを兼ね、山口県宇部市に出張する。車で4時間はかかる遠隔の地だ。
同市はこれまで、まったく無縁の土地柄だったが〃FMつながり〃で今や身近な存在になりつつある。本日最大のイベントは、高校卒業以来30年以上も会っていないM君との邂逅(かいこう)。現地のFM局オーナーの橋渡しで、奇跡的に連絡が取れたのだ。
M君とは高校の3年間ずっと同じクラスだった。通学バスも一緒だったが、何より筆者と違ったのは頭の構造。今で言う、福山雅治似の典型的なハンサムボーイでギターも上手かった。
先般、まったくもって〃偶然〃の導きで、ラジオ出演を直前に控えた彼と電話で少しだけ話すことができた。情報によれば、彼は現在、宇部市内の企業病院で副院長(内科)の要職にある、という。
医者でカッコいいとなれば、これはもう完璧な〃人生の勝利者〃である。果たしてあのM君がどんな〃変身〃を遂げているのか。典型的なメタボ親父を見て笑わないだろうか…。
年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず - 。災害も青春も日に日に遠ざかってゆく。
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