2009/07/04

国を変えるか知事の乱?…体になぞらえると分かり易い!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

歯痛に悩む市井の中年オヤジがこんなことを言っては何だが、今の世の中どこか〃歯車〃が狂っている。殊に大阪・宮崎両府県知事のパフォーマンスとしか言いようがないテレビ会見を見ていて、そう思う。

「地方分権」「地方の時代」―。確かに耳当たりの良い言葉で、「ニッポン丸」の視界を遮る「閉塞感」という難敵に向けて、威勢の良い「口撃ミサイル」を矢継ぎ早に発しているようだが、下手したら「空砲」にしか過ぎなのかも…。

こんなことを書くと、「明治維新の原動力となったのは、薩長をはじめとする若き脱藩者が中心だった!!」などとする反論を招くことは必至だが、その当時と今の状況を比べること自体に土台無理がある。

まず違うのは、両知事とも「タレント」出身で、一般に顔が知られ過ぎている点。調べたわけではないが、お二人とも次の改選期までは、きちんと「公人」としての身分が保証されている。収入も我々庶民とは桁違いであろう。

そんな裕福な著名人が、半分オチャラケのように語っている言葉を、そのまま鵜呑みに出来ようか。マスコミの宿命とはいえ、各社しのぎを削るかのように、「公共の電波」に乗せる姿も、浅ましいと言えば、浅ましい。

一方で、次の総選挙後の政界の盟主の座をかけて虚々実々の駆け引き合戦を繰り広げている「自民党」と「民主党」。その足元を見透かすかのように、しきりと〃秋波〃を送る知事連合。

確かに、断面的に物事を見れば、官僚思想中心の現国政の進め方には問題が山積(内蔵)していることも事実で、最近は報道がその闇の部分を次々と抉り出している。その点において、知事連合が果たした役割が極めて大きいことは、否定はしない。

ただ、問題なのは、これから先の「この国のかたち」。テレビに出てヤニ下がっているようなお歴々に、そもそもその「国家観」なるものを、改めてお聞きしたいものである。

自虐的な物言いかも知れないが、「地方」の持つ力など所詮微々たるものだ。ただ、その微々たる力の集合体が「国家」である。このことは人体になぞらえると実に分かり易い。

よしんば指先の小さな傷でも、放っておけば、化膿して一命を失うことにも繋がりかねない。また、脳や心臓などの中枢機関ばかりがやたらと発達していても、それはそれで非常にいびつな状態だ。

地方から国に向けて率直な声を上げることは、別段間違ったことでもなんでもない。繰り返すようだが、その先に一体何があるのか?

映画(カサブランカ)の話ではないのだから、「昔のことは忘れた。先のことは分からない」では無責任過ぎる。せっかく噴き出した地方(知事)のエネルギーが、平成版「えーじゃないか」のプレリュードで終わらないことを願う。