2009/07/08

七夕なぜ〃タナバタ〃…「礼服」に関する勝手考

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原 清水眞守‐

昨日は「七夕」で、何とかそれをネタに文章を捻り出そうと焦っていたが、思いも寄らぬ〃来客〃が相次いで叶わなかった。

「FMしまばら」を車中で聞いていたら、「そうめんの日」だとも言っていたが、筆者の所有する『年中行事・記念日事典』に、その記述はなかった。

代わりと言っては何だが、2日ごろが「うどんの日」とあり、7日は「川の日」とあった。説明書きを読むと、「川の日」は国土交通省が平成8年に、七夕伝説の「天の川」をもじって制定したのだそうだ。ちなみに、今月は「河川愛護月間」でもある。

だいたい「七夕」と書いて、なぜ「タナバタ」と読むのか、よくよく考えて見れば不思議である。漢検の前経営陣も個人的な金儲けなんかに走らずに、こうした素朴な疑問に答えてほしかった。

「七」の漢数字で言うと、以前、西日本新聞社にどうにも肌の合わない記者がいて、「四十九日法要」と書けばよいものを、わざわざ知識をひけらかすかのように「七七忌」としていたことを思い出す。

まあ、そうした話はさて置くとしても、「死」は誰もが避けて通れない「宿命」であって、いつ何時訪ねてくるか、誰にも予測はつかない。ひょっとしたら今日かも知れない。

それでも人間は、よほど重い病気等をしていない限りは、「自分にはまだ当分お迎えは来ないだろう」などと高をくくってしまう。正しいと言えば正しいし、過ちと言えば過ちだ。

先日、護国寺住職の岩永泰賢さんから「なるほど」というお話を伺った。通常、我々は通夜や葬儀、その後の法要などに「黒い喪服」を着て弔問に訪れる。それが「礼儀」だと思っているからだ。

岩永さんに言わせると、これは間違い。故人に近しい親族(遺族)が喪服を着るのは当然としても、赤の他人がそこまでする必要はないのだそうだ。

詳しい説明は、直接岩永さんにお聞きいただきたいが、「そうおっしゃられても…」というのが我々庶民の偽らざる心境であろう。いわゆる「無難な選択」こそが「庶民の知恵」でも言うべきか…。

第一、「喪服」は大切なファッションでもある。妙に女性がドキッとするほど「美人」に見えたり、ややもすると「男前」が上がったりもする。

ただ、男性の場合、一つだけ気がかりなことがある。ネクタイを取り換えるだけで「結婚式」も「葬式」も併用している方が大半ではなかろうか。いわゆる「礼服」との位置づけで。

恥ずかしながら筆者の場合も例外ではなく、そうさせていただいている。やはり、ここはきちんと識別すべきだと思うのですが、いかがでしょうか皆さん?

それより何より、去年作ったばかりの「礼服」がもう入らなくなりました!?