島原の歴史を見直そう…ボーっとしたらイカンぜよ
‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐
やたらと長崎市内ばかりがハシャギまくっているような感じを受ける『龍馬伝』(来年のNHK大河ドラマ)。「コンママジャ、島原ンモンナ、イッチョン面白ナカトン」と心配していた矢先に〃救世主〃が。
他でもない、島原城資料館専門員の松尾卓次先生だ。すでに今年1月下旬の島原新聞紙上に4回にわたって『龍馬、島原を行く』というタイトルで〃史実〃に基づいたご寄稿を頂いているのに、それでも動こうとしない〃地元〃とは?
そんなヤキモキした気分で、同先生を昨夜、『ターニングポイント』のゲストに迎えた。その中で色々と龍馬にまつわるお話を伺っている間に、幾分か〃方向性〃が見えてきたような気もするが、まだまだ油断は禁物だ。
些か〃我田引水〃めいて恐縮だが、筆者の行く先々にNHK大河ドラマの〃舞台〃が用意されている。別段それを目当てに追いかけているというわけでもないのに、何とも不思議な巡り合わせなのである。
昨年の『篤姫』では、島津の出生地とされる「都城」のケーブルテレビ局に足繁く通った。勿論、今でも親しい交流が続いている。そして今年は『天地人』で注目を集めている越後「長岡」。現地のFM局とは、互いに〃防災報道〃に重きを置いているという点で共通項がある。こちらとも仲良くさせて頂いている。
そこに持ってきての『龍馬伝』であるから、必然的に力も入るし、同時に期待度も高まるのである。読者の皆様方にはどうか、この〃流れ〃というものをご理解いただきたい。
閑話休題。龍馬は今を去ること145年前の元治元年(1864年)2月22日に、師と仰ぐ勝海舟らとともに、豊後街道~有明海を経由して、この地に足を踏み入れている。上陸地点は島原湊。まだ数え年30歳の若者だった。
その後の長崎までの足取りや宿泊先等々の話については、島原新聞を読み直すか、『ターニングポイント』の再放送をご覧になって頂きたいが、強調したいのは、当時の島原藩の〃歴史的意義〃。
松尾先生の言葉を借りるなら、島原は江戸幕府から見れば九州地方の中心。また、そうした交通の要衝であると同時に、多くの外国船が寄港する「長崎」を見張るという大きな役目を担っていた。
「伊能忠敬も吉田松陰も…歴史上の名だたる人物がこの地に足跡を残しており、確かな記録もある。こんな所、そうざらにはないですよ」と同先生。
同じく島原新聞にご寄稿下さった松本和子さん(「霊山歴史館」友の会々員・島原市在住)の記事によれば、『篤姫』の経済効果は262億円、『新撰組』554億円。
「島原半島のおまんら、指くわえてボーっとしている場合ではないぜよ」。どこからともなく、龍馬の声が聞こえてきそうだ。
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