2009/08/17

「精霊流し」に思う…長崎の〃亜流〃では廃れる!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

15日夜、シュンちゃん(FMしまばら)の指摘・提案をもとに、改めて「精霊流し」を見物した。萩原に住んでいた伯母の初盆だったので、霊丘公園に足を運んだのだが、余りにも照明が明る過ぎる。

いつも出かける猛島海岸と違って十分過ぎるほどの広さがあるのは結構なのだが、3隻ずつを表舞台に繰り出して「練り」を競わせる折角の〃演出〃も、効果を引き出すまでに至っていない。

興ざめだったのは、禁止(自粛)されているはずの「爆竹」が、今年もそこやかしこで使用されていたこと。そんなに鳴らしたいのなら、「長崎まで行って思う存分やってくれ!!」と申し上げたい。

切子灯ろうに用いる蝋燭(ろうそく)も多くは「西洋ロウソク」。何故、地元産の「和蝋燭」を使おうとしないのだろうか。価格の問題?確かに、そうした

一面もあろうが、かけがえのない「精霊様」の送りであることを考えれば、銭金の問題ではないはず。

そんなにどこやかしこのお寺に出かけた経験はないので大きな声では言えないが、ひょっとしてお寺そのものが「西洋ロウソク」に頼りすぎなのでは…。これぞ「地産地消」の最たるものではないか!!

何より、その原料となる「ハゼの実」は、「島原大変」(1792年)後の島原藩の財政を立て直したという「史実」と「実績」がある。お寺ならずとも、地域を挙げて「もっと拘るべき」と思う。

筆者が申すまでもなく、長崎の精霊流しは全国的にも有名だ。人口規模も経済の成り立ちも違うので、比較すること自体無意味だが、我々はもっと「島原らしさ」を追求すべきである。

船の構造そのものが違うし、灯ろうだって全く異なった造りではないか。それなのに何故「真似」(爆竹)をする必要があるのか?分からない。いや、多くの市民が心の中ではそう思っている、と信じる。

長崎のそれが「動」であるとすれば、島原の魅力は「静」である。青森の祭りに「ねぶた」(青森市)と「ねぷた」(弘前市)があるように、それぞれの特徴をさらに磨き合えばよい。

老婆心ながら、このままのやり方を放置しておけば、島原は長崎の「エピゴーネン」(亜流)に堕してしまいかねない。くどいようだが、夏の「精霊流し」は春の「初市」と並ぶ、島原を代表する「本物の祭り」である。

迷ったら「原点」に帰ろう。再び歴史をひも解いて、素材そのものから考え直そう。そうすれば、他では決して真似の出来ない、「島原独自の精霊流し」が復活する。

霊丘の流し場で、取材記者を思しき都会風の粋な女性がしきりとシャッターを押していた。今でも、それほど「絵になる光景」が残っているのである。「伝統の火」を消さないためにも早目に手を打つべきだ。