2009/08/19

湛山先生は偉かった!!…学者もクビになるものなの?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

「私は国民の気に入らない政策もやる」。昭和31年、自民党総裁選で岸信介を破って総理大臣に就任した際に、石橋湛山が発した談話だそうだ。文藝春秋・増刊『くりま』(9月号)の中で、作家の半藤一利さんが紹介している。

その後、石橋は急な病に倒れたため、2か月弱の短命政権で終わってしまうが、次の言葉などは今風バラマキ型の「マニフェスト選挙」とは鮮やかな対比を為すものであろう。曰く「政治家が高い理想を掲げて国民と進めば、政治の腐敗堕落の根は絶える」と。

さあ、総選挙が始まった。どうしても外せない先約があって、自民、民主両党候補者の大手広場前での「第一声」は聞き逃してしまった。ただ、これまでも新聞報道等を通じて各々の「訴え」の内容は確認しているので、又の機会にじっくりと聴かせていただくことにしよう。

おっといけない!長崎2区には、この他にも3人の候補者がいることを、つい書きそびれるところだった。ゴメンナサイ。

それにしても「政治家」とはつくづく因果な「商売」だと思う。こりゃまた失礼!モトイ「仕事」に訂正しないと。

「猿は木から落ちても猿だが、政治家は選挙に落ちれば議員でない」と言い放ったのは、確か大野伴睦であったと記憶しているが、今回出馬を見送らざるを得なかった猪口邦子・元少子化相のコメントには、失礼ながら、大いに笑わせていただいた。

18日付けの読売新聞が報じている。前回、比例東京ブロックの「女性枠1位」だったものが、今回は「24位」に格下げとなったことを受け、泣く泣く「辞退」に追い込まれた。その際、知人に漏らした言葉が「これで失業ね。学者も辞めて、議員もクビになって - 」だった、とか。

その心情を慮(おもんぱ)れば、可哀そうな気がしないでもないが、当選1期目にして「大臣」にもなって、はちきれんばかりのご身体にロングドレスを纏って政界デビューを果たされたことを想えば、まだまだ貴方は恵まれている。

それより「政治家」は諦めたとしても「学者」まで辞めねばならぬ、とは一体誰が決めるの?母校の上智大学に帰って、また一から出直せばよろしいじゃありませんか。まあ、余計なお世話ですけど…。

その他の比例ブロックの名簿順位についても、新聞各紙が一覧表のような形式で報じているが、正直、あまり興味がない。何かこう、小選挙区制度の「まやかし」のような気分になってしまうのだ。

そんなことより、4年前の選挙戦を印象深く思い起こすのは政治家諸氏の「クールビズ」のいでたち。今では役所や一般の会社でもすっかり定着してしまった感があるが、首の短い筆者ら「非モテ系」にはネクタイ以上に様にならぬこと甚だしい。一体何を着ればいいのだ?