2009/08/24

大切なのは〃この先〃…念願の「世界ジオパーク」へ

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

何はさておいても、本日はこの2つのメデタイ話題を取り上げないわけにはゆくまい。他でもない島原半島の世界ジオパーク加盟と、島原一中サッカー部の全国大会での快進撃(決勝進出)だ。

詳細については本紙担当記者の解説記事に任せるとして、おかげさまで昨日の日曜日は、親子共々存分に楽しませていただいた。有難うございました。

今でこそ「ジオパーク」という言葉は〈人口に膾炙(かいしゃ)した〉かのような雰囲気だが、最初に聞いた時は「ン?」という感じだった。

島原振興局長を酒井好さんが務めていた頃の話だから、もうかれこれ2年も前のことになろうか…。幹部職員の中に、やたらと「石」に詳しいIという輩がいて、その彼が必死になって「観光面での活用効果」を説いていたことを昨日のことのように思い出す。

筆者も、そして安中三角地帯嵩上げ事業のリーダーだった大町辰朗さんも、その「情熱」にすっかりほだされたしまった。何と言っても、最初の勉強会で聴いた寺井邦久先生(元島高教諭)の講義内容が素晴らしかった。

「そうか!我々の島原半島は、地質学的に見ても、そんなに価値の高い地域だったのか」―。根が単純な筆者も大町さんも(失礼)、「そら素晴らしかとん!!」と、すっかり魅入られてしまった。

東京で開かれた初回の会合で、九州地区の自治体の立場から島原半島にエールを送ってくれたのは、鹿児島県霧島市長の前田終止さん。自民党副総裁だった二階堂進さんの秘書、県議を経て市長になった方だけに、「さすがに政治家!!」とその場で感心した。

率直に言って、当初の滑り出しにおいては、何となくギクシャクした感じも否めなかった。しかし、半島内3市の足並みが揃ったことで「会長」の大任を担うことになった前島原市長の吉岡庭二郎さんの動きにも拍車がかかった。

吉岡さんは昨年ドイツで開かれた国際会議で、他所にない火山活動下での新たなジオパークという「島原半島の特性」を余す所なく伝えることに成功。「世界への道」を切り拓いてきた。

もちろんその陰に、「普賢岳のホームドクター」と呼ばれた九州大学名誉教授の太田一也さんや、それに連なる多くの学者人脈の下支えがあったことを忘れてはならない。

ともあれ、念願だった「世界加盟」は実現した。が、問題はこの先。23日の記者会見場で3市の市長と振興局長はガッチリと握手を交わした。新たな「観光圏」との関連性も含めて、今後どのような施策が打ち出されていくのか。

相手が「世界」であるだけに生半可な対症療法だけで済む話ではない。我々住民も心して取り組んで行こう。(いかん、時間がなくなった。サッカー場へ急がねば!!)