今在ることに感謝!!…すべては歴史の1コマ
‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐
一昨日(24日)、本欄の原稿を書きかけのまま取材(応援)に出かけた「第40回全国中学校サッカー大会」だったが、残念ながら、地元の島原一中は静岡学園中に延長戦の末、「0 - 1」で惜敗した。
負けたことは悔しいが、そんなことより、選手たちは本当に良く頑張ってくれた。一枚岩となった地元応援団の後押しも忘れてはならない殊勲功だ。
試合は後半から、来賓でもないのに、本部席に闖入(ちんにゅう)して観戦させていただいた。受付で無理矢理〃正面突破〃を図ったため、担当の女性の方には大変に申し訳ないことをした。この場を借りて深くお詫びする。
メーンの観覧席には、横田、吉岡の新旧島原市長をはじめ小嶺忠敏県サッカー協会長などサッカーや行政関係の「VIP」が陣取っておられた。
幾つものまぁーるい背中越しに、対岸の熊本の山並みや有明海がクッキリ。競技場の芝の緑も鮮やかだ。正面スタンドには国旗や大会旗などの5本のフラッグが、時おり吹き抜ける秋風に翩翻(へんぽん)とひるがえっている。
誰が見ても、紛れもない平和な光景だ。ふと、二百年以上も前の「島原大変・肥後迷惑」のことを想う。背後の「眉山」が地震で大崩壊をきたし、それに伴う大津波が1万5千人もの尊い命を奪った。
そこまで時代を遡らなくとも、つい20年近く前にも、競技場周辺は一面「灰色の世界」だった。それが今、色鮮やかな「晴れ舞台」に見事までに変身している。
単なるセンチな気分で、こんな下手糞な文章を書いているつもりはない。コートの中でボールを追いかけている選手たちも、スタンドで黄色い声援をあげている応援団も「今在るこの状況」を、是非この機会に、今一度「感謝の念」で見つめ直してほしい。
既報の通り、島原半島は念願とも言うべき「世界ジオパーク」への仲間入りを果たした。当地で暮らす者の一人として、誠に慶賀すべきことである。「ヤッター」「バンザイ」の気分と言ってもよい。
だが、我々(郷土)が今日あるのは、取りも直さず、幾多の自然災害や戦争の惨禍を、挫けることなく乗り越えてきた先達諸氏の「不屈の生き様」のおかげである。造語するなら「血質遺産」とでも言おうか…。
もし、「ジオパーク」の構想がなければ、今や「世界遺産」の候補地の一つにも取り上げられている「原城址」が、阿蘇山の火砕流の遺跡だったと、誰が知るであろう…。
いずれにしても我々は永い地球の歴史の中で、たまたま「今この瞬間を生きている」に過ぎない。否、「生かされている」のだ。
かく言う筆者も、人生の大先輩である社長の計らいで、本欄を書かせていただいている。本日8月26日は島原新聞創刊百十周年の記念日でもある。
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