2009/09/05

『日本改造計画』を読む…エエッ、幹事長が閣僚に!?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

アッ!という間の一週間だった。しかし、その瞬間的なスパンの中で、「政権交代」という劇的な展開を示し、日本の政治が変わった。いや、より正確に言うと、国政の舵取り役が変わろうとしている。

今や日本のメディア(特にテレビ)は「民主!民主!民主!」のオンパレード。いささか「辟易」という感じがしないでもないが、「民意」を敏感に嗅ぎ分ける能力に長けたマスコミさながらの動きである。

そんな中、いつかは読まねばと思いつつ本棚の奥にしまい込んでいた小沢一郎著の『日本改造計画』(講談社)を昨日、走り読みしてみた。奥付を見ると、「平成5年5月発行」とあるから、普賢岳噴火災害の最中に書かれた本だ。

氏は「まえがき」の冒頭で、米国アリゾナ州にある観光地「グランド・キャニオン」に転落防止柵が設置されていないことを取り上げ、米国と日本の「行政管理上の考え方」の違いについて言及している。端的に言えば、米国の場合は「自己責任」という姿勢が徹底している、と。

読みながら、当時全国注視の被災地であった島原・深江で、地元首長が決めた「警戒区域」への立ち入り規制等の問題が(法的な解釈も交えて)盛んに論議されていたことを思い出した。

氏の政治手法は以前から「原理主義」と称され、「ブレない政治家」との評価が高かった。反面、角さん仕込みの「選挙通」で、持ち前の「剛腕」の行き過ぎを懸念する向きがあったのも事実だ。

だが、世の中「勝てば官軍」である。誰が何と言おうと、民主党にとって氏は、歴史に残る「政権交代」を成し遂げた、最大の功労者である。また、百人を超える「チルドレン」を生んだ実績からしても、その影響力は党首のそれを遥かに凌ぐものであろう。

本の話に戻る。氏が一貫して強調しているのは「官邸機能の強化」(政治主導)と、そのための「与党と内閣の一体化」。このくだりは、出版から15年以上が経過して「政権獲り」が現実化した今でも、若干の数字上のブレはあっても、骨子そのものに変化はない。

また持論であった「小選挙区制度」もすっかり定着。多くの地方自治体の痛みを伴う「地方分権」も、あらかたその路線で突き進んでいるようにも見える。してみると、このところの日本政治の動向はまるで「小沢ドクトリン」の追認劇ではないか!?

数日前の新聞辞令では氏の「幹事長就任」が有力視されているが、著述の中ではこう記されている - 「たとえば幹事長を閣僚にする。それによって、内閣と与党が頂点で一つになり、責任を持って政治を運営できる」と。

果たして、その主義としての「教条」が新政権の中でどう実践されるのか。ここは一つ注意深く見守ることにしよう。