2009/09/18

良い事はマネしよう!!…〃素材〃をしっかり見極め

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

実を言うと、昨報の結びを「つづく」としたことをちょっぴり悔やんでいる。子供の作文よろしく大分での行動を時系列的に並べ立てた次第で、最終立ち寄り先の「大山町」(村は間違いでした)のことまで書いたので、それで「おわり」にしてよかったのに…。

ご案内の通り、国東半島の付け根にある豊後高田市は江戸幕府時代、島原藩の「飛び地」だった所。そのご縁で今日の「兄弟都市締結」と相成っているわけだが、どうも最近は「弟」の方が元気がよい。

詳しい行政指数等を調べたわけではないので、あくまでも「個人的な想い」に過ぎないのだが、「昭和の町」に匹敵するような集客力のある商店街が島原にあるだろうか?答えは誰が考えても「ノン」でしょう。

一方、「湯の町」という視点で比較してみても、復活目覚しい別府の温泉街と我が島原半島とでは〃雲泥の差〃がある。どこに原因があるのか?何が足りないのか?

確かに大分は平松守彦という名物知事の号令のもと、「一村一品運動」が随所で展開され、「モモ」「クリ」「ハワイ」で売った大山町を筆頭格に、全国的にその名が知れ渡った。

巧く説明できないが、何かが違うのである。「佐賀人が歩いた跡にはペンペン草も生えん」などというが、以前聞いた大分人の性格も同じく「ケチ」であった。

それを示すエピソードとして、窓の外から他所のテレビを覗いていた通行人に対して、そこの主がこう言ったそうな。「見んな、減る!」と。

まあ、そんな冗談話はさて置くとしても、豊後の国の人々は総じて「素材」を活かす能力に長けているように思える。

だったら、我々は何をすべきなのか?悩む必要なんかない。答えは簡単だ。マネればよいのだ。

今もっとも旬な経済アナリスト(公認会計士)の勝間勝代さんは「私のコアスキルは「まねる」だと思う」と、本の中で書いている(アエラムック『まねる力』)。

ただし、やみくもにマネをするだけでは芸がない。我々は高崎山の猿ではない。人間なのである。

何日か前の本紙に、島原薬園とも係わりの深い「賀来一族」(宇佐・国東)の記事が掲載されていた。その宇佐市に合併された安心院町では、伝統の「鏝絵」に加えて「ワイン」に「スッポン」にと町を挙げて売り込みにやっきである。

また採れたて野菜などを売っている彼の地の「道の駅」「里の駅」は、ほとんどが〃川沿い〃にあって、多くの買い物客で賑わっている。残念ながら、島原半島には大きな河川がない。その代わり、豊富な湧き水も綺麗な海も山もある。

「薬園」だって日本三大薬園の一つだ。考えてみれば〃素材〃はごまんとあるはず。活かさないのは、その地で暮らす人間の怠慢である。

‐おわり‐