2009/09/19

愚かな半生を振り返る…蘇ってくれよヤマボウシ!!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

前夜、独りしみじみと「来し方&行く末」を思念しながら、猛島海岸沿いを歩いた。秋特有の澄み切った空気の向こうに対岸の明かりが見えた。

空には満天の星。波は比較的激しく、時おり横風が飛沫(しぶき)を運ぶ。松籟(しょうらい)に混じって虫の合唱が喧(かまびす)しい。しばし、古人が楽しんだであろう〃風流〃を偲んだ。

意図したわけではないが、自らの誕生日に合わせたかのように、本欄も600回という〃節目〃を迎えた。数々の過ちに対するご指摘も、ご批判も受けながらの〃マイルストン〃。まだまだ娑婆での〃茨の道〃は続きそうだ。

思い起こすに、間違いだらけの半生である。年相応の深みも、落ち着きもない。雑事に追われて駆けずり回り、喜怒哀楽を覆い隠す術も知らず、ひたすら飲み、そして喰らう。

気付いてみれば、腹回りがゆうに1メートルを超える〃典型メタボ〃。幾つか年下の三谷幸喜さん(脚本家)が朝日土曜版の中で、人間ドックの模様を面白おかしく伝えているが、わかる!わかる!その自虐性。

この方は格段に優れた文章家だとは思わないが、独特のとぼけた味わいが何とも捨て難い。漫画家兼エッセイストとしても活躍中の東海林さだおさんの世界にも相通じるものがある。

いつもの調子でまたまた話が脱線してしまったが、初めて「古典」(古文と言った方が相応しいか…)に接したのは、中3の三学期。吉田兼好の『徒然草』の中に収められている『高名の木登り』だった。

この話は「木登り」という原始的な行為を引き合いに出して、「油断大敵」の心構えの大切さを説いたもの。比較的平易な内容だったので、得心したことを覚えている。

ところが、である。実際の筆者の生き様は「油断大敵」どころか、危ない!危ない!四方八方、隙(すき)だらけで困っている。

先日、久方ぶりにあった宮本造園社長の宮本秀利さんから叱られた。「まもっちゃん、植木ん枯れよっど」。「よもや?」と思って事務所玄関口の植栽コーナーまで駆け付けたら、ヤマボウシの木が…。

自分はのうのうと冷房の効いた部屋に居て、真夏の〃灼熱地獄〃の喘ぐ木々の訴えを愚かにも聞き逃してしまっていたのだ。ごめんねヤマボウシ君。私がバカだった…。

恐る恐る宮本さんに「まだ、生き返るじゃろかい?」と訊いたら、「わからんばってん、とにかく水ばたっぷりかけてやらんね」との答え。まあ、これなどは典型的な「油断大敵」の一例であろうが、何とも身につまされる失敗談である。

ただ、必死の介護が木精にも伝わったか、ここ数日間で幾分か樹勢を取り戻しつつあるようにも見える。自戒の念を込めて「論語読みの論語知らずめ」。