万年はマンネリに通ず…島原ならではの独創性を!!
‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐
明日から「しまばら温泉不知火まつり」が始まる。何やら騒がしげなポスターを見ると、もう今年で30回目を迎えるという。
率直な印象を言えば、NHKの『紅白歌合戦』に負けず劣らずの〃偉大なるマンネリ〃である。はて、「マンネリ(リズム)」とは一体?早速、辞書を引いてみると、すぐ隣に「万年」という言葉があった。
「マンネリ」VS「万年」 - 。両者に何の語句的な繋がりがないことは言わずもがなではあるが、その〃語感〃からしてひょっとして〃親戚〃では?ネタ不足の頭に、何やら怪しい思惑が湧いてきた。
「鶴は千年・亀萬年」とは〃長寿〃を言い表す言葉だが、元を正せば「永く続く」ということの象徴的な表現だ。それが「マンネリ」と何の関係があるの?と訊かれても、合理的な説明などできない。
ただ、書き始めた以上、もうどうしようもない。このまま突っ走って、何とか〃着地点〃を見つけ出さなければ…。
「山高きがゆえに尊からず」という言葉があるが、「祭り」も「焼酎」も古ければ古いほど価値がありそうな気がする。その点、「不知火まつり」など、「初市」や「精霊流し」と比べるとまだまだ〃青二才〃だ。
しかし、「だから」と言って卑屈になったり、手抜きをしてもよい、というものではない。新しいなら新しいなりに工夫を凝らして臨むべきであろう。
そうした試行錯誤の積み重ねこそが、「新たな歴史」を創り上げていくものだ。ただ、そこには島原ならではの「オリジナリティ」(独創性)が必須である。
そうした視点から、改めて〃実態〃を眺め直してみると、これはもう完全に「アウト!」である。強いて挙げれば、「島原城薪能」ということになるが、厳密に言うと、これは同祭りとは一線を画す「独立興行」である。
「そんな固いこと言わずに、一緒に盛り上がればいいではないか」というご意見もあろう。だが、そうした考えではいつまで経っても、「伝統の祭り」には成り得ないだろう。
つまりは、今のままの形態で、どれだけ長いこと(万年)続けたとしても、それは単なるマンネリズムの延長線上でしかない、ということだ。
これまでも、この季節になれば必ずと言ってよいほど「祭りのあり方」について〃苦言〃を呈してきた。実の所、批判めいた記事を書くのは余り気持ちのよいものではない。
しかし、本番を前にしたいま、「今年も余り変わりばえがしないであろう」と容易に予測されるので、気乗りがしないまでも敢えて書かせていただいた。
政治も、行政も、仕事も、そして祭りも…、「現状維持に甘んじているだけ」(万年)では、いずれ「マンネリ」の罠にはまる。どうだろう、少しはオチになっただろうか?
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