大切なのはユーモア!!…批判や中傷はいとも簡単
‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐
本欄の〃ネタ本〃にしようと、手当たり次第に買い求めた書籍類が机周りにワンサカとある。その様子を眺めるだけで、もうウンザリだ。
だいたいそのまま使えるような〃材料〃など、まず無い。おっつけ、身の回りで起きた出来事を羅列するだけの安直スタイルになってしまうのがオチだ。しかし、それはそれで心苦しいもの。
この種の文章で一番書きやすいのは、批判&中傷記事である。だが、それも当事者や、第三者である読者の皆さんがどう感じるかを思えば、なかなか一筋縄ではいかない。
その点、ネット上の「ブログ」というのは随分と便利なツールである。何せそこは自分(達)だけの〃仮想世界〃であるから、誰彼気兼ねすることなく、思いのたけを書き込むことができる。しかも匿名で。
ある意味羨ましくもあるが、そこには必ず〃落とし穴〃があることを忘れてはならない。自分の意見を全うだと思い込む余り、ついつい書き過ぎてしまうきらいがあるのだ。
思うに、今の世の中は何でも素人さんの全盛時代である。翻って言うと、専門(プロ)の姿を見かけることが少なくなった。
昔は「この分野ならあの人」「それが欲しいならあの店に行け」などといった〃方程式〃のようなものが確立していた。いわゆる〃棲み分け〃がきちんと出来ていた良き時代であった、と思う。
ところが今は…。近くに専門店がなくても、ネットで買うことができる。わざわざ専門書を紐解かなくても、パソコンの画面上で答え(正解とは限らないが…)を引き出すことも可能だ。
まあ、便利と言えば便利だが、味気ないことこの上ない。逆の言い方をすれば、段々と〃本物〃と直に接する機会を自ら失くしてしまっているような気すらする。
歴史的と言われた先の政権交代劇でも、その道の専門家集団である「官僚機構」のあり方が大きく問われたが、一説によれば、彼(女)らエリートの中では、心の病に悩む人も少なくない、という。
そのことについて、養老孟司先生が以前、面白い提案をされていた。「日本には減反などのために使われなくなった遊休農地が沢山ある。彼らはそこで汗を流して働くことによって、本来の自分を取り戻せばよい。一石二鳥だ」(要約)。
恐らく先生は、農耕民族である我々日本人に、原点の大切さを問い掛けたかったのだろう。それにしても、この方の文章にはいつも、奇妙な説得力とユーモアが伴う。
そう、人間、どんな世の中(境遇)であっても、大切なのは「ユーモア」だ。この前、誰かも言っていた。「人を怒らせたり悲しませたりすることは簡単だけど、笑わせることは難しい」。
多くのブロガーの皆さんにも、是非分かっていただきたい言葉である。
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