中村天風師と出会う…ICU試験官の計らいで
‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐
昨夜の『ターニングポイント』(CATVとFMで生放送)には、長崎大学熱帯医学研究所(略称・熱研)教授の溝田勉さんが出演して下さった。
溝田さんは昭和19年、愛媛県松山市生まれ。高校時代(松山南)は100メートルの同県内記録(10秒6)を樹立したスプリンターであったが、勉強もお出来になったようで、卒業後は東京教育大(現筑波大)を経て、東京大学教養学部へ。
と、こんな書き方をすれば〃順風満帆〃の学者人生を歩まれているようだが、決してそうではない点がこの方の真骨頂。「一番行きたかったのはIUC(国際基督教大学)だったんだ…」と、青春時代の蹉跌(さてつ)を隠さない。
だが、後に「師」と仰ぐ、中村天風さん(1876~1968)との出会いのきっかけを作ってくれたのは、他ならぬICUの試験官(牧師さん)だったというから、「人生」とはつくづく判らないものだ。
番組を見落とした(聞き逃した)方には土、日曜午後6時からの再放送をご覧になっていただきたいが、まさにこの方にとっての「ターニングポイント」は哲人!天風師との出会いであった、と言える。
東大の大学院を経て上級職として文部省入り。通常なら省内に留まって出世の道を志すところだろうが、最初に配属されたのは外郭団体の日本学術振興会。元東大総長の茅(かや)誠司さんが会長を務め、その秘書係として汗を流した。
そこから先のキャリアが俄然面白い。出向先のユネスコでは本部のあるパリではなく、「スペイン語が出来る」というだけの理由で南米へ。3年間をチリの首都サンチアゴで過ごした。
ニューヨークの国連本部時代には、緒方貞子さんや明石康さんら〃大物〃の薫陶を受けユニセフの活動にも係わっていく。黒柳徹子さんやアグネス・チャンさん、ジュディ・オングさんら芸能界人脈との交流が始まったのもこの頃だ。
「役所の掟」で長崎にやって来たのは、昭和63年のこと。長崎大学の「国際主管」として現在の国際交流部の礎を築いた後、4年間にわたって経済学部で教鞭を執った。
その後いったんは東京に戻っていたが、アジアで初の「熱帯医学学会」が長崎で開かれることになり、再び召集がかかった。
専門は「健康教育学」。数々の国際舞台で活躍した経験を武器に「長崎県全体を国際交流の基地に!」と、地元経済界とも活発に意見交換を重ね、後進の育成にも力を注いでいる。
「『健康教育』の目的は天風先生の教えとまったく同じ。学生諸君にも是非その真髄を理解してほしいので、『心』と『身体』を繋ぐものは何か?について熱弁をふるう毎日ですよ」。
7ヶ国語を闊達に使いこなす〃才人〃でありながら、少しも偉ぶったところがない素敵な笑顔の持ち主だ。ビバ!溝田先生。
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