2009/12/12

修学旅行は楽しい!!…逸脱した「人生の旅」も

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

数日間、雨が降り続いていたので、お天道様がやけに眩しい。さーて、今日は息子(三男坊)が修学旅行から帰ってくる。4泊5日の間に、どんな「思い出」を作ってきたのだろう…。土産話が楽しみだ。

〈♪二度とかえらぬ 思い出のせて クラス友達 肩よせあえば ベルが鳴る鳴る プラットホーム ラン ラン ラン…♪〉

年配者には懐かしい、ご存知!舟木一夫の学園シリーズの一作『修学旅行』(作詞=丘灯至夫、作曲=遠藤実)の歌い出しの部分だ。

筆者も小、中、高とそれぞれに「思い出」を持っているが、時間的な制約もあって、ここでそれを語る余裕はない。ただ、ただ「楽しかった記憶」だけが残っている。恐らく、大方の読者の皆様方もそうであろう、と想う。

今年2月に亡くなった伯母が、いつだったか、楽しそうに語ってくれた話を思い出す。「私たちの頃(女学校)の旅行先は東京。松平のお殿様から鉛筆をいただいて、不二家で甘いものを食べてきた」…。

伯母は大正の半ばの生まれだったから、まだ日本全体が戦時色に染まっていない「良き時代」に学生生活を送っていたのだろう。

今となっては、宿舎や交通手段などの話を聞いてなかったことが悔やまれる。

伯母の言う「不二家」とは、今も数寄屋橋の一角にある店のことだろう。不祥事で経営形態が変わったにせよ、店舗そのものが残っているだけでも「よし!」としなければ…。

ところで、何度も書いているが、筆者は以前、大手の旅行代理店(徳島営業所)に6年間勤めていた。専門は海外旅行だったが、春や秋の修学旅行シーズンになると否応なく「添乗」に借り出されていた。

率直に言うが、これがすこぶる「嫌な仕事」であった。何より、大したこともない先生が威張っている(中には立派な方もおられるが…)。新幹線の中で生徒たちが食べた弁当のカスを集めさせられるのも「屈辱の時間帯」であった。

小学生の奈良・京都、高校生の東京はまだましだった。問題は中学生の旅行先である九州方面。小浜や雲仙での泊まりを終えて島原外港から九州商船に乗り込む時には無性に「里心」を覚えたものだ。

入社後間もない頃、中国・四国地区の若い社員が集まって研修会&懇親会が山口の湯本温泉で開かれた。その折、高松営業所に勤務するAという先輩が、我が古里「島原半島」のことを悪し様に罵った。

気付いた時にはもう飛び掛っていた。会場は騒然。「あー、これで俺はクビになるなぁ…」と思って徳島に帰ったら、鬼のK所長が逆に「元気があってよろしい!」と褒めてくれた。  

ただし、罰として頭を丸めさせられた。かくして、通常のコースとは逸脱した筆者の「人生の旅」が始まった、という次第。