2009/12/18

我が社は人種の…忘年会の源流は「年忘れ」

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

忘年会シーズンである。恐らく今週末あたりがピークとなろうが、くれぐれも飲み過ぎにはご注意されたし。ましてや飲酒運転などはご法度ですぞ!

我が社の忘年会は昨夜、済ませた。テレビ&ラジオ合わせて、総勢約30人。いつの間にやら大所帯となっている。

30人もいると、なかなか賑やかだ。一足早くサンタクロースに扮して現れるのもいれば、着物姿の新人君のお出ましも。いやはや、人種の坩堝(るつぼ)といった雰囲気だった。

忘年会に関しては、以前本欄でも紹介したこともあるが、永六輔さんが著書『もっとしっかり、日本人』(ヴィレッジブックス)の中で面白いことを話されている。ひょっとして、お忘れの方も多いのではと思うので、再度その要旨を紹介しておく - 。

〈江戸時代は「忘年会」という言葉はなく「年忘れ」といっていた。その意味は、今年あったことを忘れるのではなく、参加者それぞれが「自分の年齢」を忘れて開いた「お疲れさま会」のこと〉

なるほど、モノシリ博士の永さんの口から出た言葉だとすれば、十分に合点もいく。つまりは、老いも若きも、地位や年齢にかかわらず、大いに盛り上がろうではないか、と。

てなわけで、昨夜は大いに盛り上がった。週末には一日早い「サーズデー・ナイト・フィーバー」と相成った次第。

感心するのは、最近の若者の歌(カラオケ)の上手さ。耳をつんざくような演奏に怖気づけわけでもなく、早口言葉で威勢よくまくしたてる。表示される点数を見れば、どれも90台後半の高得点だ。

酔いが回るより先にその勢いに圧倒された筆者は、すっかり顔色を失くしとうとう歌わずじまい。何となく〃不戦敗〃といった感じだったが、その日穿いていたバカボンパパのパンツには「これでいいのだー」と大書されていた。

「歌は世につれ、世は歌につれ…」などとよく言われるが、まったくその通りだ。筆者も若い頃は、爺さん婆さんが好んだ民謡や演歌などを疎ましいと感じていたが、今の若者からすれば、石原裕次郎の甘い歌声もきっと間延びして聞こえているのだろう。

まあ、仕方のないことなのだが、オジさんからすれば寂しい限りだ。ただ一方で、最近は「青春譜」とかいって、昭和40年代から50年代にかけてのフォークソングや流行歌を特集したCDも随分と売れているそうだ。

その流れかどうか知らないが、佐世保では「させぼキャンディーズ」とかいう名の女性グループ(素人)に人気が集まっている、とNCCのニュースが報じていた(17日夕)。

よーし、次なる忘年会はいつだ?一発「UFO」(ピンクレディ)でも踊ってみっか!これぞ「年忘れ」???