2009/12/24

「継続」は大事なこと…ただ「工夫」も忘れないで

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

メリー・クリスマス!米国初の黒人大統領誕生や歴史的な政権交代(日本)に沸いた2009年も、いよいよカウントダウンの時を迎えた。

石原慎太郎東京都知事に言わせると、「今年を表す漢字は『新』ではなく『衰』」ということだ。ただそれは、ご自身の威光を指しての感慨だろうか…。

特段、氏に限らず「満つれば欠ける」のが世の習わしである。したがって「勝った」だの、「負けた」だの、そう気に病むこともあるまい思うのだが、やはり人情からすれば、勝つに越したことはないのだろう。

昨夜、「ウインターナイトファンタジア」(外港広場)から帰ってテレビを観ていたら、イチロー選手が子供たちに向かってあるメッセージを投げかけているシーンが流れていた。

それは「継続の重要性について」であった。「仮に(方法が)間違っていたにせよ、続けることの意味合いは大きい」と - 。

確かにイチロー選手の言う通り「継続は力なり」である。間違いではないだろう。ただ、この言葉は受験業界で以前から〃金科玉条〃のように語られており、いささか反発も覚える。

「続けること」は何によらず勿論大事だ。しかし、「方法」(やり方)はもっと大事だ、という気がする。そのためには「今やっていることで本当に良いのだろうか?」と、絶えず自問自答する姿勢を忘れてはならない、と思う。

別な表現をすれば、成功しよう(勝とう)と思ったら、「工夫」が必要なのである。「継続性」を重視する余り、旧来の手法に固執し過ぎていないか…。たまに「自己否定する立場」から冷静に「検証する」ことも大切だ。

で、お前さんはどうなんだい?と訊かれれば、正直言って、まったくもって自信がない。一番悪しき事例である「惰性の継続癖」から長らく抜け出せないでいる。

「あれも何とかせねば」「この問題もまだ放置したままだ」…。一年の総決算を迎えるこの時期において、いつも頭を抱え込んでは呻吟(しんぎん)しているのが実態だ。

偉そうなことが言える資格もないし、また立場でもない。ただ、こうしたどこかで借りてきたような〃繰り言〃を臆面もなく曝け出すことで、読者の皆様が何らかの〃暗示〃を感じ取って下されば、筆者冥利に尽きる、というものだ。

一昨日、昨日と、お世話になった県外企業を訪問してきた。幸い好天にも恵まれ、海上から眺める島原半島や天草の島々の美しさを満喫することもできた。その思いを一言でいえば、「よくぞこの地に生まれけり!」である。

日々の経済活動の根底に「継続性」があることは言わずもがなとして、いま少しの「工夫」が欠けていることも実感した旅だった。皆さん、ガマダシましょで!!