2009/12/26

歳歳年年人同じからず…お世話になった方が次々…

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

暮れも押し詰まったこの時節。毎年のように思い出すのは、高浜虚子の「去年今年貫く棒のごときもの」という句。みのもんた風に言えば「除夜の鐘またぎ」ということになろうが、同じ時間の流れなのに、やけに速く感じる。

この一年、本当に色々なことがあった。振り返ってみて、最大の痛恨事は平尾圭太先生が亡くなられたこと。弊社発足当時からの番組モニターも務めてもらい、『ターニングポイント』(生放送)にも出演していただいた。

もっと俳句の勉強をして、きちんとした質問が出来るようにならねば…と思っていた矢先の突然の「訃報」であった。兄弟都市、豊後高田市民の皆さんとの賑やかな交流会の席上であったが、一瞬にして、凍てついてしまった。

また同席で、歓迎のスピーチに立たれた金谷製線(株)会長、金谷吉弘さんの口から懐かしい名前が飛び出てきたことも印象深い。元島原市助役の森川末承さんのことだ。残念ながら、森川さんも鬼籍に入られて久しいが、今日の市勢発展の礎を築かれた「大恩人」の一人でもある。

少し脇道に逸れるが、金谷さんから伺った面白いエピソードがある。当時、選挙戦の後遺症で、大分県知事と豊後高田市長は近い親戚(イトコ?)でありながら、とても険悪な関係だった。その「犬猿の仲」を解きほぐしたのが森川さん(当時商工観光課長)だった、というわけだ。

森川さんには筆者が島原入りした当初から、随分と可愛がっていただいた。長男の初節句の際にいただいた「木馬」は今でも渡り廊下の一角で、可愛らしい姿をとどめている。その長男も、年齢だけは大人の仲間入りを果たしている。

「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」。今年も多くの方々が娑婆に別れを告げ、来世へと旅立たれて行った。抗いようのない自然界の宿命とはいえ、何とも寂しい限りだ。

と、ここまで書き進めていたら、またしても「訃報」が舞い込んできた。内田自動車整備工場社長、内田英顕さんのご母堂、内田妙子さんが今朝ほどみまかれた、という。この方にも本当に良く可愛がっていただいた。

たまに訪ねていくと、無沙汰をなじり、お手製のドクダミ茶を淹れて下さった。また、大の映画ファンであると同時に、CS放送の「旅チャンネル」を楽しんでおられる様子だった。忘れられないのは、旧満州時代に覚えられたという「イワシマンジュウ」(大型餃子)の豪快な味付け。

駆け出しの記者の頃、『こぼれ話』欄で紹介したこともあるが、その時は随分と喜んで下さった。残念ながら、再び話をする機会も逸してしまったが、あの世ではきっと憲一郎さん(長男・前市議)が待ってくれているはず。サヨナラ、内田のお母さん…。