2010/01/18

田中先生はなぜ無言…日本政治は遺恨の戦い!?

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

先週末は野暮用のため上京していたので、お休みとさせていただいていた。まったく「責任感」が欠落しているというか…。申し訳ございません。

その間に、世の中は大変なことになっているようで…。ほかでもない、小沢一郎民主党幹事長周辺の「政治資金規正法」違反云々をめぐっての大騒ぎである。

昨日の日曜日もそうだった。新聞を開いても、テレビをつけても、大方のトップニュースはやはりこの話題ばかり。

こうまで続けば、いささか辟易(へきえき)といった感じがしないでもないが、時期が時期だけに、いやでも見逃がすわけにはいかない。これぞ「野次馬根性」というものだ。

ただ、一連の番組をその「ゲスな根性」で見ながら、いささか奇異に思うこともある。テレビのコメンテーター諸氏の何人かは、いかにも「公平さ」を装いつつも、明らかに政治色が付いている人がいる。

まあ、世間というものは、えてしてそんなものなので、別段驚くに値しない。しょせん、彼らも人気商売なのである。

法律的な解釈の問題など端から判らないが、生粋の「庶民目線」で小泉政権以来の政局の流れを眺めてみると、これが何とも面白いではないか!

まず、小泉さんは田中角栄さんを政治的な仇敵とする福田赳夫さんの元秘書。一方、小沢さんはその田中さんを「オヤジ」と慕う、文字通りの秘蔵っ子だった。

報道によれば、ロッキード事件の裁判は毎回欠かさず最前列に陣取って傍聴していた、という。したがって、検察のやり方は熟知している、と。

対する小泉さんは、「天の声にも変な声がたまにはある」との表現で、勝てるはずの自民党総裁選(昭和53)で敗れた悔しさを福田さんとともに味わい、田中派への復讐を誓った、とされている。

ただ、今回の構図はそうしたかつての「角福戦争」の延長線上ではなく、相手を代えた「小沢VS検察」のメンツを賭けた争い、とも言われている。

どちらが正しいのかは、いずれ近いうちに結論が出るだろうから、ここで深追いする必要もなかろうが、不思議なのは、黄門様を除いて、当の民主党内からさっぱり「声」が聞こえてこないこと。

このあたりは「金持ち喧嘩せず」の知恵なのか、党内最大権力者に対する畏敬の念なのか、素人目にはよくわからない。

それともう一つ、ダム建設の是非問題。「胆沢」はよくて、なぜ「八ツ場」は駄目なのか?

ダム不要論者で有名な、目立ちたがり屋の田中康夫先生(新党日本・前長野県知事)がこの状況の中でダンマリを決め込んでおられるのも、不思議と言えば不思議なのである。