2010/01/26

贅沢は(素)敵だ!?…「一石二鳥」は甘い考え

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

もう長いこと食べていないが、アーモンドグリコの宣伝コピーは「一粒で二度おいしい」だった。恐らくその考え方のヒントになったのは「一石二鳥」という諺だったのだろう。まあ、世の中にはそうした「事態」もたまには起きるものであろう。

昨日は戦時中に巷間流布した、戦意高揚のための有名な「プロパガンダ」を取り上げさせていただいたのだが、ネット上でその出典を調べているうちに、思わず吹き出してしまうほどの、秀逸な「パロディ版」に出くわした。

まずは「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」について。普通は戦時下での国民に対して、耐乏生活の必要性を呼びかけたもの、と捉えてしかるべきである。ところが、そのパロディ史は違う切り口で「乾いた笑い」を誘い出しているのだ。

それはたったの一箇所!「工夫」から「工」を取り除くだけで、まったく違った意味合いになる、というもの。すなわち「夫」が足らぬ、と。もっとも、これは女性工員が多かった紡績工場内にあった「落書」が出所なのだそうだ。

続いて、昨日は紹介できなかったが、同じ頃に、ほぼ同じ意味合いの「贅沢は敵だ」という標語もあったそうだ。

ここでお断りしておくが、敢えて「伝聞形」を続けているのは、筆者はれっきとした戦後生まれなので、実際に見たり、聞いたりしたわけではない。ご理解のほどを!

本題に戻る。「敵」に漢字一文字を足すだけで真逆の意味になるのだ、と。単純に考えれば、「非」や「不」などの否定後を入れてしまいがちだが、それでは面白くない。

そこで同作家が入れているのが「素」の文字。すると、「贅沢は素敵だ」という、何ともひねたスローガンに早変わりしてしまうから、あら不・思・議!

最後に「欲しがりません勝つまでは」について。これは戦後『暮しの手帳』を創刊した花森安治が、大政翼賛会系の団体に籍を置いていた頃の作品だ、と誤解する声も多かったようだが、「事実」はそうではなかった、ということだ。

しかし、ここまで書いてきてつくづく思う。世の中には「一石二鳥」などといった都合のよい事態などまずあり得ない!否、あったとしても、それを期待してはいけない。

今日の本欄の筆者など、まさにそう。昨日のヒマネタをもとに、柳の下の二匹目のドジョウを狙おうとした目論見は、ご覧の通り見事に外れてしまった。

人間、やはり額に汗して、しっかり努力をしないといけない。そうした意味では、今日はとても良い勉強をさせていただいた。

謝りついでに、明日夜に予定していた『ターニングポイント』は大事な会合とダブってしまい、中止となった。重ね重ね申し訳ございません。