有為転変の政治の世界…「権不十年」の思想永遠に
‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐
日経新聞の名物コーナー『私の履歴書』に、元総理の細川護煕(もりひろ)さんが健筆をふるっておられる。朝日新聞社の出身だけに、語り口は洗練されており、不遜ながら、読み応え十分だ。
我々島原半島住民にとって、細川さんは「総理」というより、むしろその前の「熊本県知事」。いや、「肥後のお殿様の子孫」というイメージが強いのでは?
国政へのデビューは鮮烈だった。今はなき「日本新党」を立ち上げ、あれよ!あれよ!という間に日本国のトップにまで駆け上っていかれた。
一度だけそのお姿を拝見したのは、平成4年12月に行われた島原市長選の折。鐘ヶ江管一さんの突然の引退表明を受け執行された、あの「吉岡VS本多」の激烈な戦いの最中のことであった。
細川さんは日本新党の党首として旧知の本多候補の応援に駆け付け、大手広場でマイクを握った。その際、同行していたのが小池百合子さん(後に自民党)だったことを思えば、政治の世界の有為転変ぶりを感じないわけにはいかない。
本題に戻る。ここ数日間の細川さんの話題は、ご自身が中心となって立ち上げられた「連立政権」当時の裏話に及んでいる。
その中には、武村正義さん(さきがけ党首)のように懐かしい顔ぶれも含まれているが、今をときめく鳩山由紀夫総理や小沢一郎幹事長の名前も登場してくる。
24日付の紙面が面白かった。「連立政権の群像」「誠実・したたか…個性的面々」などの見出しが付いたその回の最終の部分にはこう書かれている。少し長くなるが、その要旨を引用させていただく。
〈官房副長官の鳩山由紀夫氏は武村氏のような政治的行動はなく、見かけ通りの人柄で、私も内輪のような気安さと安心感をもって接していた。真摯に職務に精励していたが、時々、教育的指導で小沢氏にしかられていたようだ〉
このあと細川さんは、〈いまもあまり変わりがないようだが…)などと、やや意味深な響きでもってその章を結んでおられる。
その翌日版には「民主党旗揚げ」について触れられており、ご自身の後に総理となられた羽田孜さんや菅直人さん(現副総理兼財務相)らと並んで握手する写真が掲載されている。
この頃の羽田さんは今のスタンドカラーなんかではない。背広をきっちっと着こなし、見るからに若々しい。
ところが今は…。時おり、国会中継などでお見かけする姿には痛々しささえ漂う。すぐ脇の小沢幹事長のふてぶてしい面構えとはまさに「対極」である。
誰がトップに立とうとも「政権」をめぐる戦いはこれからも続くだろう。ただ同時に、細川さんが唱えた「権不十年」の思想も決して色褪せることはない。そんな気がする。
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