2010/02/15

敗れてなおよし!…上村選手の今後に期待

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

こう言うのを「証文の出し遅れ」と呼ぶのだろう。バンクーバーオリンピックのスキー・モーグル競技で、上村愛子さんがまたしてもメダルを逸してしまったことに関連して何か書こうと思っていたのだが、昨日はどうしても時間が取れなかった。

国民の間では「今度こそメダルを!」との期待が膨らんでいただけに、残念と言えば残念だが、個人的には「敗れてなおよし!」と思っている。これは正直な気持ちだ。

何万人、いや何十万人の中から選ばれた各国を代表するアスリートが集うのだから、オリンピックで勝つのは傍から眺めるほど簡単ではないはず。また、その日の「運」によっても大きく左右される。それが「世の中」というものだ。

上村さんのニュースを聞いて、かつて「ニュージャーナリズムの旗手」と騒がれたノンフィクション作家、沢木耕太郎さんが著した名作を思い出した。『敗れざる者たち』という初期の作品集(文春文庫)だ。

取り上げられているのはカシアス内藤(ボクシング)、円谷幸吉(マラソン)、榎本喜八(プロ野球)などといった、類いまれなる才能に恵まれながらも「頂点」を極めることなく現役を退いていった人々の「魂の物語」が乾いた文体で描かれている。

何も上村さんのことを彼らになぞらえるつもりはないが、「敗れて勝つ!」という選択肢も、人生には往々にしてある。そんな戯言(たわごと)など勝負の世界では通じない、というシビアな見方も分からないではないが、一方で「勝てば官軍」式の考え方には俄かに同調できない。

はっきり言って筆者は、前回のトリノオリンピックで女子フィギュアスケート界の女王に輝いたAさんが苦手である。世界中のスケートファンを唸らせた「イナバウアー」の演技は確かに素晴らしかったが、さして美形でもないのにツンとすましたような顔立ち(クールビューティ)が何とも鼻につくのである。

その点、上村さんには「愛らしさ」が自然と備わっているように思える。快心の勝利を収めた時の弾けるような笑顔も素晴らしいけど、涙目で自らの不甲斐なさを悔いる表情も、これまた捨て難い。

やはり昔から言うように「女は愛嬌」である。もっとも、その前節の「男は度胸」という言葉は、もはや草食系男子がもてはやされるような昨今の風潮では死語に等しいが…。

まあ、そんなことより上村さんは今後どうするのだろう。新聞には「少しゆっくりしたい」とのコメントが掲載されていたようだが、あの明るさ満点のキャラクターを世間が放っておくはずがない。

このまま競技を続けるのもよし!家庭に入るのもよし!乾坤一擲の勝負で敗れたことで、かえって大きな「人生の金メダル」が胸に輝く日も近いだろう。