また一人「名優」が…「当たり前田のクラッカー」
‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐
藤田まことさん(76)が17日、亡くなった。スポーツ新聞のみならず一般紙でもその「訃報」を大きく取り上げていることからも明らかなように、「国民的俳優」の一人だったと言えよう。
テレビ文化の草創期 に育った筆者世代からすれば、何と言ってもその代表作は白木みのるさん(珍念役)とコンビを組んだ『てなもんや三度笠』(朝日放送)だろう。藤田さんの役柄は「あんかけの時次郎」というヤクザ役だった。
放送当時(昭和30年代後半~40年代初頭)の最高視聴率(関西地区)はナント64.8%を記録したというから、度を越えた「お化け番組」であったことが今にして良く分かる。
「俺がこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー」という、あざといまでにスポンサー名(前田製菓)を刷り込むオープニングの決め台詞は、今でも「歯糞」のように脳裏にこびりついて離れない。
余談ながら、演出を手がけたのは澤田隆治さんという名物プロデューサー(後に「東阪企画」を立ち上げ)で、フジテレビの横沢彪さんとともに後の「漫才ブーム」の仕掛け人と呼ばれている人だ。
閑話休題。こうして「お笑いの世界」から売り出した藤田さんだが、人生後半はシリアスな役どころもこなせる「演技派」としての地位を築いていく。
その代表作が昭和40年代後半から始まった『必殺シリーズ』。藤田さんは「昼」と「夜」の2つの顔を併せ持つ八丁堀の同心、中村主水(もんど)の役を見事に演じて、その人気を不動のものとした。
このほか、現代劇では「家庭」と「職場」における「落差」を哀歓たっぷりに演じた『はぐれ刑事純情派』(テレビ朝日系)で、多くのサラリーマン諸氏の支持を得た。
この辺りは誠に勝手な思い込みだが、ザ・ドリフターズのリーダーから役者への転換を図った「チョーさん」こと、いかりや長介さん(故人)ともダブって映る。
実は先週末、CATV連盟のセミナーなどがあって、久方ぶりに大阪へ出かけた。1泊2日の慌しい日程だったが、飛行機の待ち時間を利用して「ミナミ」と呼ばれる難波駅界隈をうろついてきた。
大阪は東京と比べるとドンヨリした感じだったが、何と言っても「人情の街」。折角だから、グリコの看板(道頓堀)でも拝んでいこうと思って、駅前の案内係のオッサンに尋ねたら、「すぐそこでっせ!」と気さくに教えてくれた。
看板には、赤抜きの社名の上にこう書かれていた―「おいしさと健康」。
近年の藤田さんは病魔との闘いだったとも言われているが、その渋みあふれる演技は「美味しい栄養素」となって、これからも多くのファンの心を支え続けていくことだろう。合掌。
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