2010/04/25

同行二人のセールス…いつか八十八ヵ所巡りを!

‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐

久しぶりに弊社の若手社員と「同行(どうこう)セールス」なるものを実施した。懐かしかった。他でもない、我が身を振り返っての話だ。

今を遡ること30年前。徳島県。当時は専用の営業車をあてがわれることもなく、ただひたすら歩かされた。俗に言う「飛び込み営業」というやつだ。

「とにかく歩け!革靴3足を履きつぶせば、営業のイロハが少しはわかってくるだろう」。叩き上げ上司の持論だった。

最初のうちは愚直にその指示に従い、一日に何十軒も回っていた。が、さして効果も現れず、そのうちに「嫌気」がさしてきた。と言うより、「なんでこの俺が…」という身の程知らずの素朴な疑問でもあった。

そんなある日、「出張に行ってこい!」という命令が出た。「えっ、どこ。東京だろうか?」と胸躍らせていたら、取引先の信用金庫が募集している四国八十八ヵ所の「霊場巡り」というではないか!?

愕然ときた。つい何ヵ月か前まで花の東京の「ど真ん中」で生活していたというのに、田舎の寺回りかよ…。正直、嫌で嫌でたまらなかったが、命令には逆らえなかった。

そのツアー(?)は客に先んじて八十八ヵ寺を訪問することから、「先どり」と呼ばれていた。つまりは、足腰の弱った老人に代わって「お札」や「奉納帳」のお世話(運び役)をする仕事だった。

町中にあるお寺はまだ楽チンだったが、場所によっては、肩に食い込むほどの大きな荷物を背負って急峻な山道を登らなければならず、実際かなりの「重労働」であった。

確かその時は徳島県内の20ヵ寺ほどを「先どり」したのだが、肉体の疲れとは別に、想いもよらない、不思議な「充実感」が味わえたのも事実である。

あれから30年。いま巷では「お遍路さん」がブームだという。ほんの一部にせよ、実際にその行程を歩いた身としては、何となくその人気の秘密がわかるような気もする。

話は変わるが、普賢岳災害の折、「童話作家」を名乗る妙齢のご婦人が島原を訪ねて来られ、何かのいきがかりでお世話をするようになった。聞けば、二番寺か、三番寺の「お嬢様」と言うではないか。

筆者は「ここぞ!」とばかりに自らの「悲しき体験談」をややオーバー目に伝えた。すると、そのご婦人の喜ばれること!初対面なのに一挙に打ち解けることができたのは、まったくもって「お大師様」のおかげである。

最近は「歩き」と「脳の働き」などとの相関関係を論じた書物も多く出版されているようで、筆者も大いに関心を持って読んでいる。できたら、今度こそ強制ではなく、自発的に八十八ヵ寺を巡ってみたい!

そんな思いに駆られた「同行(どうぎょう)二人」のセールスであった。