大往生だった隈長さん…他人のために生きる意義!
‐株式会社ケーブルテレビジョン島原専務 清水眞守‐
島原市商店街連盟の元会長だった「玉屋」の隈部長太郎さんが10日、亡くなった。享年満98歳。堂々たる「大往生」と言ってよいだろう。
平たく言えば、隈部さんは岳父のポン友。図らずも先に逝ってしまった弊社初代社長、福山隆幸さんや会議所元専務理事の河野俊文さんともども「十日恵比須神社」(福岡市)を詣でるのが、彼ら「四人組」の新春の慣わしであった。
酒は余りたしなまず、口数も少ない方だったが、時おり「大胆な行動」に打って出られた。筆者が一番ビックリしたのは、70歳代半ばにして、我が身一つでチベットだったかに旅行されたこと。
かつて「団体ツアー」を専門とする旅行会社に勤務していた身からすると、羨ましくもあり、その飄々たる振る舞いに「大いなる敬意」を抱いたのも事実である。ご冥福を祈る。
その隈部さんと同い年なのが、聖路加国際病院理事長の日野原重明さん。昨夜はどうしてもその「講演」が聴きたくて、隈部さんの通夜は失礼させていただいた(葬儀には必ず参列致しますから、どうぞお許し下さい!)。
会場の諫早文化会館は二階席までほぼ満席の状態。驚いたことに、若者の姿も数多く見られた。もっとも、それもそのはずで、この日のテーマは『若い世代とシニア世代との心の交流~めいめいの行き方を考える~』だった。「新老人の会」長崎支部の主催。
主役の日野原さんはやや猫背気味なものの、最初から最後まで元気ハツラツ!時に会場の笑いを誘いながら、立ちっぱなしで約90分間にわたる講演とコンサートマスターを精力的にこなされた。
59歳の時「よど号ハイジャック事件」(昭和45年)に遭遇。「それから先は自分のためにではなく、他人のために生きることにした」と、自身の来し方を振り返る気骨の老医師。
一方で、悲惨な戦争体験をもとに「平和の尊さ」を唱え、「憲法9条を何が何でも守らなくては!」と訴えながらも、「核兵器廃絶!」のスローガンのみを前面に押し出した「被爆地長崎」の平和運動の進め方に疑問を呈する一幕も。
講演会終了後は著書の販売やサイン会に併せて「新老人の会」の会員申し込みのコーナーも設けられていた。筆者も成り行きのまま、「サポート会員」(年会費5千円)になることを決めた。
また、折角の機会でもあったので、買い求めた本にサインをしていただくことにし、列の最後尾に並んだ。日野原さんは微塵も疲れた様子を見せず、せっせと筆を動かしていた。
最後に握手を求めたら、気持ち良く応じていただいたので大感激!ここにめでたく一人の「老人予備軍」が誕生した次第。これから筆者のことは「ジジー」と呼んで下さい!
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