筆者の勘違いでした…佐仲さんゴメンナサイ!
イカン!イカン!まったくもってイカーン!のであります。この私めが。特段、「油断」しているつもりもないのですが、どうにもショーもない「過ち」を重ねている次第でして…。
その「事実」をはたと知らされたのは、先般上京の折。「東京医科歯科大は私立ではないぞ。歴史ある著名な国立大学ではないか!」と、筆者の手になる「紹介記事」(佐仲雅樹さんの大学教授就任)を読んだ郷土出身の画家、永田力さんが慨嘆されていた、という話を聞いたことから。
人間の「思い込み」とはかくも恐ろしいもので、それを耳にするまでは、露ほどの疑いを抱くこともなかった。ご実家の「佐仲味噌総本店」の皆様には大変に失礼を致しました。この場を借りて深くお詫び申し上げます。
ただ、「言い訳」がましいが、あの名人脚本家だった向田邦子さんでさえ、『荒城の月』の歌詞の一節「巡る盃」を長い間「眠る盃」とヒガ覚えしていたのは有名な話でもあるし、それ自体が著作(随筆集)のタイトルともなっている。
ところで、拙稿冒頭の「イカン」の話に戻るが、沖縄県知事の仲井眞弘多(なかいま・ひろかず)さんが「やっぱ移転先は辺野古周辺しかありませんでした…」などとする鳩山首相の正式回答に対して「心象」を述べた言葉が、同じ響きの「遺憾」であったことはまだ記憶に新しい。
そのやりとりの一部始終を報じた24日付の朝日新聞(東京版)の一面には、「首相=断腸」VS「知事=遺憾」の二本見出しが大きく躍っていた。元々どちらの表現も政治家の方々がよく使われる言葉ではあるが、皆さん「語源」を認識した上でおっしゃっているのだろうか。
まずは「断腸(の思い)」だが、解説によれば、子猿を人間にさらわれた母猿の「深い悲しみ」が語源と言われている。子猿の安否を気遣う余り、船上まで追いかけてきて憤死した母猿を開腹してみたら、腸(はらわた)が細々にちぎれていた、という中国の故事にならう、のだそうだ。
一方の「遺憾」については、「期待したように事が運ばず、極めて残念に思うこと」とする意味が一般的だが、外交上の使い方はより複雑なようで、こんな生半可な知識でこれ以上深入りしたら、イカン!イカン!イカンぜよ!
これに比べると、落語の謎かけのような「如何」の場合は、事の責任を相手方に転嫁するようなもので、軽過ぎる気もする。さーて、今日27日は全国知事会議。沖縄県の基地負担軽減のために、首相はどう話を切り出すのだろう。
まずは「いかが?」という意味の「如何」だろうか。はたまた、どこも協力してくれる所がない事態を憂える「遺憾」だろうか。沖縄県民の方々の割り切れない心情を慮りつつ、人間社会の身勝手さ、民主主義遂行(政治)の難しさを感じる。
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