迷ったら「原点」に!!…「無念」思えば「残念」なんか…
19年目の〈6・3〉は快晴に恵まれた。筆者も背広に着替え、仁田団地第一公園内の追悼之碑を皮切りに、関係先を順繰りにお参りさせていただいた。
〈あの日〉から丸19年。生き残った我々もすべて、それ相応に年をとった。被災地の風景も、今ではすっかり様変わりだ。
多くの報道陣が犠牲となった〈定点〉に立つ。ランドマークの白い〈三角錐〉越しに、〈平成新山〉の威容が見える。眉山の緑が眩しい。
ふと思う。あの災害とは一体何だったのだろう?今も続く復興工事の槌音や季節外れのウグイスの鳴き声は、御霊の耳元にどう響いているのだろうか?
人間の記憶が年とともに移ろっていくことは自然の理ではあるが、何らかの形で〈島原〉と係わりがある以上、〈6・3〉のあの大惨事を忘れてはなるまい。
そう、すべての始まりを表す言葉は「原点」である。その原点に立ち返って「現在」(いま)を見つめ直すことがあらゆる局面において必要なのだ。
大上段に構えれば、これまで通りの「生き方」「進め方」でいいのか?もっと素直な気持ちになって、慎み深く対処していくべきではないか?
昨年の暮れだったか、「なぜ『帰郷』の意味で『帰省』という言い方をするのか?」という素朴な疑問を本欄でつぶやいたことがある。
実は、その後に島原食販の水元敦實社長とお会いする機会があって、非常に有難い教えを賜わった。同社長によれば、「帰省」には「親の安否を気遣う」という意味があるのだそうだ。
おかげさまで、「合点」がいった次第なのだが、それまではどうしても「省」と言うと「反省」のイメージが強く、そこまで考えが及ばないでいた。
話は飛ぶが、東京・神田に本拠を置く「三省堂」という老舗書店があることは、皆さん良くご存知だと思う。これまた「省」の字だ。
「吾日に吾が身を三省す」という有名な『論語』の語句にちなんだ名付けのようだが、一日に三回も反省するような謙虚な生き方とは、想うだけでも素晴らしいではないか!
最近では、水元社長のその教えがきっかけとなって、上京の折は「紀伊国屋」ではなく「三省堂」の方を選ぶ。
つい最近そこで買った新書本のタイトルは『残念な人の思考法』。著者は山崎将志さんという東大出のビジネスコンサルタント。
中身はともかくとして、タイトルに魅かれて買ってしまった。とにかく、筆者の身の回りは公私にわたって「残念」だらけなのである。
ただ、ここで考え直さなければならないのは、「無念」ではないこと。志半ばで天に昇られた御霊の「無念さ」を思えば、まだまだ努力が足りない。「原点」に帰らねば!
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