2010/06/18

自らの〃強運〃を信じて!!…昔だったらもう定年だが…

体重そのものはさして変わっていないのだが、会う人ごとに「また肥ったね」と言われて、内心ショックを受けている。

ならば一念発起して!食事の量を減らすとともに、ウォーキングに勤しむなどして運動に励めばいいのに、鬱陶しい天気が災いしてか、それも今はしたくない…。成績の上がらない子供のようなものだ。

一口で「肥満」と言っても、その実態は百者百様。筆者の場合は決して不健康なそれではない、と秘かな自負も。事実、病院へ行って検査をしてもらっても、今のところ「血圧」以外に大した問題点は見当たらない。「後は体重を落とすだけ」と担当医。

時々、酒席などで同級生とも会うが、見かけ上の「若さ」という点では、遥かに勝っている、と思う。
何が足りないのか?

一言でいえば、人生に対する「自覚」だろう。「真剣み」と言い換えていいのかも知れない。ただ、何となく息をして、時間が来たら飯を喰らい、酒を飲む(飲まれる)日々…。

「これではいかん!」とばかりに、自らを厳しく叱咤激励する心境になることもないでもないが、そんな時に限って、悪魔の囁きが耳に届く。いわゆる「悪友」という類いからだ。

ただし、「悪友」と言っても、彼らの性根が「腐っている」とかいうものでは決してない。むしろ皆さん、そう計算高くない、善良な人々ばかりだ。

周囲がそうした面々ばかりだからこそ、「そうガツガツしなさんな」などと肩でも叩かれて、ビールの一杯も注いでもらおうものなら、直ちに身も心もとろけてしまうのがいつものオチである。

よくよく考えてみれば、昨夜も、その前の晩も、そしてまた今宵も…。仕事の「憂さ晴らし」と言うより、これはもう完全なる「惰性」である。

腹いっぱい食べて、浴びるほど飲んで、そしてまた帰宅して「夕餉」を平らげる。朝は朝で「一日の活力源!」とばかりに米の飯をしっかりと腹に収めて出勤だ。

若い頃は、それでもよほど「新陳代謝」が良かったのだろう。今でもよく憶えているが、丸井(東京)で買ったリクルート用のスーツのウエストは72センチだった。それが今や…。

筆者が入社した当時、一般的な日本企業の定年制は「55歳」だった。いよいよ今年、その年齢に達するのだが、今こうして過ぎ去りし日々を振り返ってみると、柄にもなく感慨深い。

自分は社会人になって、何を為し、何を遺して来たのだろう…。ただただ、その時代に合わせて、無意味な安逸を貪ってきただけではないだろうか…。

啄木に倣って、じっと自分の掌を眺める。すると、事業や金銭関係の大成功を知らせる「太陽線」がクッキリ。その縁起の良い手で、出っ張った腹回りを撫で回して、今日もまた夜の巷へ!