2010/06/19

池田武邦さんの哲学…島高の頭脳「はやぶさ」に

書かねばならないわけではないが、今日は書きたいことが沢山ある。一体、何から先に手をつけていってよいのやら…。

何日か前の本欄に、文藝春秋7月号に掲載された藤原正彦さん(お茶の水女子大名誉教授)の緊急レポート『日本国民に告ぐ』のことを取り上げたが、これぞ「シンクロニシティ」と言うべきなのか、池田武邦さん(建築家)の名前をこのところ立て続けに耳にしている。

最初に伝えてくれたのは、ハウステンボス繋がりで同氏とも親交のある宅島建設常務の宅島寿孝さん。「近々、池田先生を呼んで仲間内の勉強会をしますから、是非とも取材を!」という要請だった。

その時は生返事をしていたのだが、先週末に開かれた島原文化連盟の総会の席上で、中山春男理事長がその名を挙げられたものだからビックリ!話のネタは同誌6月号に記載されたノンフィクション作家、梯久美子さんのレポート。

池田さんはハウステンボスが話題になる以前から、我が国初の超高層建物「霞ヶ関ビル」の設計責任者として建築の世界では知らない人がいないほどの超有名人。御年86歳。

実は筆者もこれまで幾度かその謦咳(けいがい)に接したことがあるが、梯さんの作品を読むまでは池田さんが「特攻」の生き残りだとは知らなかった。

梯さんは池田さんのことを「足るを知るひと」と称し、戦後は「無名に徹しようとした」-その人生哲学を、ある種「畏敬の念」をもって、鮮やかに描いて見せている。

「特攻」と言えば、取りも直さず「戦争」にまつわる話になるが、実は藤原さんのレポートの中にも、池田さんの戦中・戦後体験を通じての「心の葛藤ぶり」が引用されており、何とも考えさせられる内容だ。

その点、大相撲の「野球賭博」は何とも情けないと言うか…。前人未到の69連勝を成し遂げた、不世出の大横綱、双葉山が「われ未だ木鶏たりえず」と、相撲道の中に「人生の真実」を追い求めていた真摯な姿勢とは対極の、愚か過ぎる土俵外の「黒星」だ。

一方で、日本国民にとって胸のすくような話の1つが、小惑星探査機「はやぶさ」の無事帰還のニュースだろう。その距離なんと3億キロ。7年ぶり。まさしく「快挙」である。

記者会見に臨んだJAXAの責任者が「事業仕分けの対象だったのですが…」などと皮肉を込めていたのが何とも印象的だったが、ここから先が「島原新聞のニュース」である。

昨日、FMパーソナリティの宮崎春而さんが興奮気味に知らせてきた。「『はやぶさ』んカプセルば設計したとは、オイの島高ん同級生じゃもん。確か、そん後輩も…」。

早速、調べてみましょう、辰田校長!創立百十周年に向けて、こりゃー「ビッグニュース」ですばい。