「南ア」の夢遠のく…社員の頑張りで島鉄黒字に
本来、参加するはずにしていた「ワールドカップ観戦ツアー」を諦め、今日は長崎空港送りのアシスト役。嗚呼、もうこれで一生「南アフリカ」を訪れることもあるまいなぁ…と思うと、いささか感慨深い。
何故そんな心境に陥っているかを言えば、山本屋本店の先代、山本富治翁(故人)から、「南半球のサクラ」とも称すべきジャカランダの話をよく聞かされていたからだ。
しかしながら一方で、翁の悲願でもあったその花は、嗣子の山本蔦五郎さんらの努力が実って、今や島原や小浜の街並みを鮮やかに彩ってくれている。「以って瞑すべし」であろう。
空港から駆け付け、やっとのことで島原鉄道の株主総会に間に合った。恥ずかしながら、不肖私めも「社外監査役」の一員として経営陣の末席に身を置かせていただいている。
今期は6年ぶりの最終黒字。ビックリしたのは元社内監査役のMさんが過去6年間の決算データを元に、経営陣並びに島鉄社員の奮闘ぶりを、「客観的」に分析して下さったこと。
これには議長役の塩塚社長も大感激の呈。「社員の頑張りを認めていただいたことが何より嬉しい」と涙交じりで応じたほど。
またこの日は、新たな社内取締役の選任も行われ、陶山幸造氏(52)と吉田祐慶氏(51)の両名が満場一致で選ばれた。
ところで、これまた春ちゃん(FMしまばらパーソナリティ)から聞いた話で恐縮だが、昭和30年代に島鉄に「タナカ・ユウケイさん」という方がいて、春ちゃんの親父さん(宮崎康平氏)の秘書役を務めていた、という。
当時は飛行機を使っての出張がまだ珍しかった時代で、タナカさんは康平先生のお世話をすべき立場をすっかり忘れてしまって、窓の外の景色にすっかり見とれてしまっていた。
康平先生は目が不自由だったから、トイレに立つには介添え役が必要であったが、初めて飛行機に乗ったタナカさんは興奮の余り、隣にいながらもその事態に気付かない。
短気な(?)康平先生がそのうちに怒り出したのかどうか知らないが、近くの座席に座っていた紳士が見るに見かねて、タナカさんに成り代わって案内してくれたのだそうだ。
その紳士こそ誰あろう!後の東芝社長、そして第4代経団連会長にして「行革の鬼」として知られた、あの土光敏夫さんだったのである。
土光さんと言えば、東芝の前に石川島播磨重工業(現IHI)の経営を立て直したことでも知られるが、何と言っても行革当時の「めざしの話」は、余りにも有名だ。
ところが、これには後日談があって、土光さんが食していた「めざし」は1匹が500円~600円もする「高級品」だったのだそうだ。塩塚社長も「めざし」好きかな?
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