創業15周年祝賀会?…周辺に当時の〃面影〃なし
ふだんから大変に世話になっている取引先からの〃ご案内〃で、急きょ上京してきた。当然、早割等のチケットは使えないから手痛い出費となったが、それなりの〃成果〃は間違いなく得てきたつもりだ。
メールで送られてきた〃書状〃によれば、「今年めでたく創業15周年を迎え、当初は身内でひっそりと記念式典&パーティを営むつもりでいたが、折角やるからには社外の親しい方々も是非お招きしたい」とあった。
〈10周年、20周年…といった区切りはあっても、15周年とはいかにも中途半端なのでは?〉と訝しい思いもあったが、社長の開式挨拶を聞いて合点がいった。「10周年の時は業績がどん底の状態で、とても祝賀会を開くような余裕はなかった」というのだ。
それにしても、だ。30代前半でそれまで歩んできた糸偏の仕事とは全く〃畑違い〃のIT業界に参入して、僅か15年の間にジャスダック上場を果たすとは、何たる荒技師!
で、なんで当社と仲が良いのかと言うと、3年ほど前、双方が巡り会うべき相手を求めていた矢先に、偶然にも出逢ってしまったという至極単純な理由からだ。勿論、人間同士の〃相性〃も見落とせない要因の1つでもある。
祝賀会場は東京でも有名な目黒駅近くの「雅叙園」。よくよく考えてみれば、学生時代の一時期をその周辺で過ごしていたことがある。ただ、その当時は「雅叙園」に赴くような暮らし向きではなく、駅を挟んで反対側の洋菓子屋でアルバイトをしていた。
今では余り見かけないスタイルのお店だった。何でもご主人は〃斯界の権威〃とかで、全国に多くの弟子がいる、と豪語されていた。奥様は大変に派手好きな方で、宝塚歌劇に出てくるようなブロンドを巻き上げたような髪形をなさっていた。
時給がいくらだったか忘れてしまったが、1日10時間以上は働いていた、と思う。と言うのは、昼間の喫茶コーナーが夜になるとパブに様変わりしていたからだ。つまり、この筆者が白シャツを着て〃ボーイ〃をしていたというわけだ。
当時はまだカラオケなどはなく、NHKのど自慢で日本一になったという本田さんというチョビ髯の兄ちゃんが客のリクエストに合わせてギター伴奏を行うなどして、店はそこそこ繁盛していた。
ボーイ職の先輩は銀座のクラブ勤めの経験を持つ島村さんと根来さんという2人組。「いいか学生さんよ、ホステスはこうやって口説くんだぞ!」と熱心にご教授いただいたが、よほど才能がないのか、この年齢になるまでモノにした例がない。
祝賀会の帰路、お店のあった周辺を歩いてみた。が、もう何の〃跡形〃も残っていない。ご主人や奥様、アルバイトの先輩方は今頃どうしているのだろう…。
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