2010/07/05

池田武邦さんの講演①…「文明」と「文化」の違い

我が国初めての超高層ビル(霞が関ビル)の設計者にして、ハウステンボス計画の理論的指導者としても知られる池田武邦さん。86歳。社会全体がかつてない混迷の時代を迎え、今また俄かに、その存在がクローズアップされている。

ご本人の思いとは裏腹に、まるで「時の人」のような感じなのだ。既報の通り、6月号の文藝春秋誌上で取り上げられたのをはじめ、「憂国の士」然とした筆法で、作家の藤原正彦さん(お茶の水女子大名誉教授)が同誌7月号で、改めてその「生き様」や「思想」を解き明かしている。

池田先生の卓話は10年以上も昔に伺ったことがあるが、今回またその「機会」を作ってくれた宅島建設常務の宅島寿孝さんに感謝の意を表しつつ、先月23日に「みずなし本陣深江」で開催された講演の一部要旨を紙上で再現させていただくことにする。

まずは「文明」と「文化」について―。両者は時々混同されてしまいがちだが、一言でいえば、前者が科学技術の発展がもたらすものであるのに対して、後者は生活を営んでいく上での知恵のようなものだ。

より分かりやすく述べるなら、携帯電話やパソコンは「文明」の部類に属し、山菜の採り方(根こそぎはダメ!)などは「文化」と言ってよいだろう。方言もそれぞれの地域の立派な「文化」である。

両者の特性を逐一比較してみると、〈普遍性-独自性〉〈優劣-対等〉〈創造-伝承〉〈欲望-足るを知る〉といった図式が成り立つ。前者が「文明」で、後者が「文化」である。

国を挙げての龍馬ブームのようだが、江戸時代末期に、米国のペリー提督率いる「黒船」(蒸気船)が横須賀の浦賀沖に現れて、日本国中が上を下への大騒ぎだったことは、皆さんよくご存知の通りだ。

この「黒船」などは、まさしくもって「文明」を象徴するもので、「軍事力」というフィルターを通して見ると、実に「優劣」がハッキリしている。

一方で、四季のある日本と、サバンナ気候を比べて、「どちらが優れているか?」などを議論するのは、まったくもって意味のないことだ。これらは単に「生活環境」の違い。すなわち「文化」の違いに他ならない。大切なのは「郷に入らば、郷に従え」という考え方を持つことだ。

「足るを知る」という日本独特の考え方(知恵)を端的に表しているのが、京都・竜安寺の「つくばい」だ。皆さんもご覧になったことがあると思うが、まん中の「口」を軸に、「吾」「唯」「足」「知」の4文字が彫られており、「ワレ・タダ・タルヲ・シル」と読み下すことができる。

言うなれば、これこそが、日本文化の本質だ。これに対して、欧米諸国の文明は、進歩や発展がなくなれば、一挙に停滞してしまう。そこに最大の特徴がある。

-つづく-