2010/07/08

池田武邦さんの講演④…なぜ「敗戦」と言わない?

「文明」と「文化」の共生―。私がそうした考えを持つようになったのは1975年頃から。

当時、私は「筑波研究学園都市」の建設を国から任され、防風林の役割を果たしていた周囲の松林の処遇の問題(保存VS伐採)で揉めたことがある。もちろん、私は「生態系を大切にする」という考えだったので「残す方」を主張。そして、採用された。

この発想については、「オランダ村」建設の際にも、強くその「必要性」を提唱し、神近社長も納得してくれた。採算面からすれば、浄化槽に多大な経費を要する私の主張はとんでもないものだったかも知れないが、やはり神近さんはタダモノではなかった。

その延長線上に「ハウステンボス」(佐世保市)があるわけだが、あの土地(県工業団地)はとても植物が育つような環境ではなかった。

私は同社の「環境文化研究所」の所長として、足掛け10年間にわたって従業員の教育に当たり、一緒に知恵を絞って、汗を流してきた。また、ゴミそのものを減らす工夫も重ねてきた。

おかげで、生態系は見事に回復することが出来たし、排水で大村湾の環境を汚すこともない。こうした「環境を大事にすれば、経営は大丈夫」という考え方に今も変わりはない。

ハウステンボスは江戸時代に見るような「循環型社会」の実現を標榜する、紛れもない21世紀型のプロジェクトなのである。

【取材後記】講演後、宅島常務が池田先生ご夫妻と一緒に食事をする場を設定してくれた。先生は「86歳」という実年齢をまったく感じさせない、驚くほどの健啖家で、目の前の料理を美味しそうに平らげながら、こう質問された。

「君、どうしてマスコミは『終戦』という表現しかしないのかね。私に言わせれば、あれは『敗戦』だよ」-。

筆者は一瞬「答え」に窮してしまった。確かに、ほとんど全てと言ってよいほど、マスコミの記述は「敗戦」ではなく、「終戦」である。あたかもそう記すことが、「平和主義者であること」を証明するかのように。

恥ずかしながら、勉強不足で戦時の事情にも疎いものだから、何と答えてよいものか咄嗟に判断しかねた次第だが、言われてみたら確かにそうである。

「勝とう!」と思って戦地に赴いた以上、降服をすれば、それは「敗北」に他ならない。それなのに「敗戦」と言わないのは、「客観性」を装った責任逃れの筆法なのかも…。

一方で、「当事者」ではないのだから、そんなことに拘らなくても、という考え方もあろうが、今の日本で起きているおぞましい事件の数々を考えれば、精神風土的な意味では、先生のおっしゃる「敗戦」という表現がより相応しいのかも知れない。

-おわり-