2010/09/13

何事も「間(ま)」が大切…もう運動会は卒業だけど…

「位置について、ヨーイ、ドン!」。毎度おなじみ、運動会(体育祭)のスタート風景だが、どうも最近の子供たちは「飛び出し」のタイミングが上手く取れないようだ。

昨日曜日、三男の通う島原高校の創立百十周年記念体育祭を見物に行って、そう感じた。極論すれば、ほとんど全てのリレー競技のスタートが「フライング」だったのである。

まあ、記録を競うような大会ではないので、「ご愛嬌」で済ませてよいのだろうが、これには何かしら「原因」がある、と思った。

バスケ、ラグビー、ソフト…など。これまでにも保護者や主催者として、応援や観戦に幾度となく出向いているのだが、前々から奇妙な「違和感」を抱いてきたのも事実だ。

熱心な指導者の方々には、大変に申し上げにくいことは承知の上で、敢えて書く。試合が終わってからの、選手全員による「お礼の挨拶」が何ともいただけないのである。

キャプテンの号令に従って「気をつけ、礼、ありがとうございました」とペコンと頭を下げるのはよいのだが、「区切り」がないのがいかにも残念だ。

文字で説明すると、この「、」の間合いが抜けてしまっている。つまり、「気をつけ礼」といった、新たなリエゾン型の「造語」みたいに聞こえてしまうのは筆者だけだろうか?

そこに「悪気」など介在していないことは重々分かってはいるが、やはり一定の「間(ま)」が無いことには、メリハリがないと言うか、聞いていて「どこか」おかしい。

この兆候を、冒頭の「アトランダム・スタート」と結び付けるのは、やや短絡的かも知れないが、何においても「間」は大切である、とつくづく思う。

ところで、筆者もいよいよ「卒業」(運動会から)である。思えば、幼稚園から始まって、小、中、高と延べ20年近くにわたってよく通ったものだ。

昨日なんかは「これでもう打ち止めか…」と思うと、一抹の寂しささえ感じた。これまでに撮りだめた写真やビデオの量だけでも、もう相当なものであろう。

最近になって思うのはビデオカメラの驚異的な普及率のこと。「一家に一台」どころか、中にはプロ顔負けの上位機種を持っている人さえいる。

背景に、メーカーの販売戦略があるのかどうか知らないが、後の編集はパソコンで出来るようになっているし、写真のプリントサイズだって自由自在だ。

一方で、同じように子供の成長ぶりを記録に残すにしても、撮る人によって、その環境は千差万別だ。いつもこのシーズンになって想うのは、外資系の某バツイチ・ホテルマンの寂しげな横顔。

愛娘の元気な姿を撮ろうと、校庭の金網越しにカメラを構えていた姿が忘れられない。あれから20有余年の歳月が流れた。