双葉山は〃自然流〃…「型」に拘(こだわ)る余り想像力欠く
4年前の冬、大相撲の「島原場所」(巡業)があった。その際に事務局的な役割を仰せつかっていた関係で、少しは「角界」にも興味がある。
と言うより、子供の頃は「土俵の鬼」と呼ばれた、若乃花(初代)の大ファンであった。ライバル横綱だった栃錦についての記憶は余りないが、不思議と若乃花のことだけは良くおぼえている。
どちらかと言うと、「突き押し」の相撲より、がっぷり四つに組んでの「投げ技」に魅力を感じていた。したがって、名門・出羽の海部屋より二所ノ関一門のファンだった。
自身が大学生で東京に居た頃は、先代・貴乃花の全盛時代。同じく相撲好きの叔父に連れられて、わざわざ稽古場(東中野?)まで見に行ったこともある。
また当時、実力ナンバーワンと言われた輪島関が所属していた花籠部屋は下宿から程近い場所にあり、一度だけ最寄りの阿佐ヶ谷駅前で見かけたことがある。
輪島関のいでたちは、ジャージの上下に、国体選手団がかぶっていそうな帽子をマゲの上にちょこんとのっけていた。声を掛けると、森永のミルクキャラメルを握った手を愛想よく振ってくれた。
さて、時代は移って、今やモンゴル出身の白鵬関の「一人天下」である。本当に「あれよ、あれよ…」という間に連勝街道をばく進。気付いてみれば、破竹の62連勝。
ひょっとしたら、来場所中日には、「昭和の大横綱」と崇拝されている双葉山の69連勝さえ、一気に抜き去ってしまいそうな「勢い」である。
周りの力士が弱すぎるのかどうか知らないが、その立ち居振る舞いは「見事!」の一言。まさに「心」「技」「体」それぞれが渾然一体となった「充実ぶり」がうかがえる。
千秋楽後のNHK『サンデースポーツ』でのインタビューや、翌日付の朝日『天声人語』を読んでみても、生真面目で研究熱心な人柄が滲み出ている。もう誰も口出しのしようがない「平成の大横綱」だ。
その著書『相撲よ!』(角川書店)の中で、白鵬関は偉大なる先輩横綱の取り組みを、「流れに従った、自然流…」と称しているそうだ。名人同士、相通じる「何か」が在るのだろう。
その双葉山関が70連勝を阻止された後で語ったとされるのが「われいまだ木鶏たりえず」という有名な言葉。求道者にも似た、その心根を想うと、「動じることをいささかも恥としない」昨今の風潮とは…。
こと相撲に限らず「型」はもちろん大切だ。ただ、その「型式」に拘る余りの「想像力の欠如」こそが、本来あるべき検察の捜査体制や報道姿勢に暗い影を落としていないか?
せっかくの機会だからこの際、偉大な両横綱(の生き様)に、素直に胸を借りればよい!!
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