2010/09/30

拝啓、愛(いと)しき母上様…「プランタン」じゃなかて!!

見出しとは異なるが、母(正確に言うと嫁の母親)は筆者の「天敵」である。別に憎んだり、怨んだりという意味ではない。物事の考え方がことごとく対立するからである。

昭和一ケタ世代に生まれ、戦時中に少女期を過ごした母は何事にも「始末」する。スーパーのレジ袋は丁寧に折りたたみ、輪ゴム類も決して捨てない。時折、ブレスレットのように束ねている様を見るが、痛くはないのだろうか…?

最近ハマっているのは「花づくり」。秋になり涼しくなってからは、筆者に成り代わって朝な夕なに水を撒(ま)き、草むしりにも余念がない。

先般、その母と「プランター」の一件でぶつかった。「古かとは、いい加減に捨てればよかとん!」という筆者に対し、母は「なーし、まだ使えるやろもん?」と一歩も引かない。

「こっじゃ、ラチがあかん」と思った筆者が勝手に見つくろって10鉢ほど買ってきたら、「やっぱ、新かちゃキレカね!」と、こっちが面食らうほどニコニコ顔で容認してくれた。

ただし、何度「プランター」と教えてあげても、母の口から出る言葉は「プランタン」。特段、フランス語圏で育ったという話は聞いていないが、よほど「春」(=プランタン)が好きなのだろうか…。まさか?

まあ、母に限らず、あの世代の皆さんは英・仏問わず「横文字」に弱い。何せ「鬼畜米英」の戦時教育の下、毎朝「星条旗」を踏み付けながら女学校に通っていたという「ツワモノ揃い」なのである。

その代わりと言っては何だが、「和製英語」の枠を飛び越えた、絶対に外国人や島原半島以外の人間には通じない「特製英語」の話題には事欠かない。

超有名な「兄やんなボーイ」「姉しゃんなガール」のほか、饅頭を意味する「押すとアンでーる」などは不朽の名作だ。

まだまだある。彼岸の季節に付き物のオハギを表すのは「中メシ、ぐるりアン」。草履や下駄は「履くと、ヘール」げな!?

これら怪しき言語がいつ頃から使われたものか知る由もないが、戦後の行き過ぎた「欧米化一辺倒教育」に対する抵抗と見れば、なかなかの「反骨心」「エスプリ」の持ち主でもある。

最近の母の言動で我慢ならないのは、筆者を「白ブタ」扱いすること。確かに体重が二倍強もあるので仕方のないことだが、愚息に対してまで「そがん食べたら、お父さんのごと、白ブタになるよ!」とは、あんまりでしょう。

この前、写真を撮ってあげたら、焼き上がりの一枚を見て「私も『バアさん』になったね…」と、柄にもなくしみじみ。筆者は口に出してこそ言えなかったが、心の中で咄嗟(とっさ)にこう叫んでいた。

「いーえ違います、お母様。あなたは『クソババア』ですよ!」と。ただし、些(いささ)かならぬ「畏敬の念」を込めて、の話だ。