2010/10/16

やって来ました800回…不断の努力で「勘」も輝く

拙稿も今日で800回。何はともあれ「やれ、やれ」である。ノンフィクション作家の沢木耕太郎さんによれば、「八」という数字は、故池田勇人総理がゲンを担いでよく使っていた、という(=『危機の宰相』)。

また、古来日本は、「八百万(やおよろず)の神々の国」と言われ、自然界の万物全てを信仰の対象としてきた。誠に偶然ではあるが、島原城下ではいま神社の「秋祭り」。巧まざる「神の思し召し」に深謝だ。

「八百万」とは数が多いことの例え。青果店と同じ意味合いで使われている「八百屋」という呼び名もこれに由来したものと言えるが、品揃えの豊富さからすれば、むしろ最近ではコンビニの方にこそ似つかわしいのかも知れない。

一方、「嘘八百」という言い方もある。その意味は文字通り、多くの嘘を並べ立てること。慶応義塾の創始者である福沢諭吉さんに言わせると「世の中で一番悲しいこと」だそうだ。

〈折れたタバコの 吸いがらで あなたの嘘がわかるのよ 誰か良い女 出来たのね 出来たのね♪〉

ご存じ中条きよしの代表作『うそ』の歌い出しの部分だが、作曲(平尾昌晃)ともかくとして、作詞を担当した山口洋子ママ(銀座)の「感性の鋭さ」には畏れ入る。

よく言われる「女の勘」とかいうやつだろうが、これから益々禁煙文化が進んでいけば、タバコを吸わない男の嘘を、女はどうやって見破るのだろう…。まぁ、どうでもいい!

さぁーて、今日のお題もなかなか焦点が定まらず、四方八方、アチコチ飛びまくって恐縮だが、前述の池田勇人さんはとても「勘」を大切にした政治家だった、という。

特段、政治の世界だけでなく「勘」は何によらず大事だ。最近はデータを重視する余り、「勘」を軽視しているような風潮がなきにしもあらずだが、やはり最終決断はコンピュータ任せではいけない!

ミスタープロ野球こと長嶋茂雄さんはよく「動物的勘」の持ち主として喧伝されてきたが、もう一人、知る人ぞ知る「鋭い勘の持ち主」がいた。

我が国ラグビー界の至宝であった宿澤広朗さん(平成18年、心筋梗塞で急逝)がその人。早稲田時代には2年連続で社会人チームを破って日本一に輝き、日本代表の監督も務めた。

だが、特筆すべきなのはむしろ金融ビジネス界での活躍ぶり。持ち前の「勘」を駆使して為替ディーラーの最前線に立ち、勤務先の住友銀行に巨万の利益をもたらした。

その宿澤語録の中にこのようなものがある―。「一度の場面のために1年間練習を積む」「データには必ず誤差がある」など。

筆者なりに解釈すれば、物事を成り行き任せにしない「不断の努力」があってこそ「勘」も正確に機能する、と。何とも、耳の痛い言葉でもある。