2010/10/18

小豆島が復活の兆し…良い事はドンドン吸収を!!

「わかくさ保育園」(新山2丁目)の初代園長、故池田清徳さんの生前の口癖は「うちの先祖は小豆島」だった。少し解説を加えるなら、「島原の乱後に南有馬に移住して来て、それから島原へ…」などと続く。

その「小豆島」がいま、都会からの若者の移住で活気を取り戻しつつある、という。少し旧聞になるが、10月11号の週刊アエラ(朝日新聞)が特集記事を組んでいる。

筆者自身、幾度も訪ねたことがある島なので、興味深く読ませていただいたのだが、率直に言って、「額面通り」に受け取ることは出来なかった。

何故だろう?必死に記憶の糸をたぐりよせているのだが、「これだ!」という核心に迫り切れないモドカシサさえ感じて始めているところだ。

四国の玄関口、香川県高松市からフェリーで約1時間。土庄と小豆島の2町があり、現在の人口は3万1千人。戦後のピーク時からすれば半分以下だとか。

また、ご多分にもれず高齢化率も35%と言うから、島原半島以上に危機的な状況なのである。それなのにどうして、若者たちはこの島を目指すのか…。

アエラの記事によれば、07年度=5件14人、08年度=12件19人、09年度=15件29人で、年を経るごとに移住者の数が増えている、という。

一方、年齢別では30代が最も多く17人。次いで20代未満が13人で、この中には、親と一緒にやって来た子どもの数も含まれているそうだ。

島の主たる産業は、オリーブ栽培と、そうめん・醤油の製造。それと観光。確か、2軒ほど大きなホテルがあったはずだが、最近の動向は知らない。

その他の観光施設としては、クジャク園やカワラケ投げなどが楽しめる寒霞渓(かんかけい)などがあったが、さほどインパクトがあるとは言い難い。

なのに…?素朴な疑問が払拭できないままパソコンに向かっているのだが、一つだけ言えることは、この島の景色や雰囲気は南島原市一帯と極めて良く似通っているのだ。

筆者が何回か訪れてみても余り「カルチャーショック」を受けないのは恐らく、こうした「既視感」(デジャヴュ)のような心理的要因が働いているもの、と想われる。

が、モノは考えようである。小豆島で出来て、島原半島で出来ないはずもあるまい。「学ぶ」の語源は「まねぶ」とも言う。良い思える事はドンドン吸収すべきである。

ましてや「ご先祖様つながり」で友好関係を結んでいる、言うなら「親戚同士」ではないか。そうめんも、醤油も、棚田もある。周囲に島々もある。

休耕地を利用してオリーブだって植えられるはずだ(すでに九電工が天草で着手)。筆者が勝手に、藤原新市長の「次なる一手」に期待する所以である。