2010/10/21

吉田安弘さん逝く…あの世で西川さんと邂逅!?

予定では「石鎚山」の話を書くつもりでいたが、詩人で郷土史家の吉田安弘さんの葬儀が護国寺で営まれたばかりなので、急きょ方針を転換する。

享年90歳。島原市文化財保護審議会委員を務めるかたわら、有明町や布津町などの『町史』の編纂でも活躍。一言でいえば、ロマン溢れる、羨ましい限りの「自由人」であった。

晩年、体調を崩されてからはお会いする機会もめっきり減ってしまったが、お元気な頃は我が家にもよく訪ねて来られていた。長身でハンサム。ロング丈のコートの良く似合う「伊達男」でもあった。

生家は吾妻町(旧山田村)の大地主。長男(後継ぎ)に生まれながらも「文学への夢」断ち難く、せっかく進んだ早稲田の法学部も、途中から文学部に転身。

卒業後一時期は鎮西学院などで教壇に立っていたが、当時島鉄の重役をしていた故宮崎康平さんの引きで同社入り。生来の「歴史好き」に拍車がかかる。

中でも情熱を傾けていたのは、島原半島における「隠れキリシタン」の研究。筆者も「大発見!」との連絡をいただき、山間部にひっそりと佇む神社などを案内してもらったことも度々だ。

その他で印象に残っているのは、江戸時代末期に大阪で勃発した「大塩平八郎の乱」に、有明出身の横山文哉が参画していたことの証明。

歴史を揺るがせた「島原の乱」からちょうど200年ぶりという「本格的一揆」の位置付けを、地元の身近な人物の存在を通して、分かりやすく解説した功績は極めて大きい。ご冥福を心から祈る。

さて、今日(10月21日)は筆者にとって、終生忘れることの出来ない「特別な日」である。長男の誕生日であると同時に、故西川清人さん(有明町、写真家)の命日とも重なるからだ。しかも今年は、満10年の節目でもある。

先日、西川さんの写真の弟子でもある講談社の古賀義章さんから電話が入った。「早いものですね。あれからもう10年ですよ」。もちろん、筆者とて忘れるはずもないので、短く「そうだね…」と答えた。

月明かりの綺麗な、波静かな晩だった。突如、夜中に「訃報」を受けた筆者は後先を考えることが出来ず、とにかく走った。

遺体の安置された二階のベランダから眺めた「有明の海」は殊更に美しかった。10年経とうが、20年経とうが、決して忘れることの出来ない光景だ。

通夜、葬儀と、泣けるだけ泣いた。もう一生分の涙を使い果たしたはずだが、近しい人の「死」にまみえる度に、相も変わらず溢れ出てくる。

恐らく今晩あたり、あの世では西川さんが吉田先生をこう出迎えていることだろう。「あらっ、先生も来らしたと?まーだ、ゆっくら、しとかっせばよかったとに…」。合掌。