想定外の〃噴火〃から…結婚24年目の普賢岳登山
土日を挟んだ連休も魅力的だが、週の間に祝日が入るのも、何となく儲けた気分になる。さしずめ今年の「勤労感謝の日」(23日)がそれに当たった。
日本におけるその由来は、「新嘗祭(にいなめまつり)」という宮中行事の一つで、天皇が新穀を神々に供え、ご自身も食して収穫に感謝する祭事だという(=学研『年中行事・記念日事典』)。
厳密に言うと、本来的な趣旨ではやや異なるものの、米国とカナダにも「サンクスギビング・デー」(感謝祭)という同様の祝日があるそうだ。
別名「七面鳥の日」(ターキー・デー)とも言われ、米国では11月の第4木曜日、カナダでは10月の第2月曜日とされており、彼の地では街を挙げての大変な賑わいぶりだとか…。
個人的には、「勤労感謝の日」は自身の結婚記念日。数も数えたり、干支二回目の24年目だ。と言うことは、来年はいよいよ「銀婚式」。
そんな大事な日に、筆者は意を決して「平成新山」に登って来た。勿論、今でも「警戒区域」であるから、その行為自体ご法度だが、九大観測隊や防災各機関に特別のお許しを頂いて、ケツからくっ付いて行った、という次第だ。
すでに各紙紙面では山頂の現在の様子が事細かに報道されているので「後追い記事」の誹(そし)りを免れないだろうが、拙いながら、筆者なりの感じ方をお伝えできれば、と思う。
とは言っても、本コラムでは写真を掲載するスペースがない。社長に特別にお願いして、一面左肩(ジオパーク事務局の杉本伸一さんが載せていた場所)を借りることにした。
題して「写真が語る噴火20年目の普賢岳」―。いずれも愛用のデジカメで思いつくままにシャッターを切ったものであるが、なかなか良く撮れているとは思いませんか…?
その前に少しだけ「前説」をお許しいただけるとすれば、これらは全て過去20年間に筆者が味わった様々な思いを込めて撮影を試みたものである。
振り返ってみれば、雲仙・普賢岳が198年ぶりに眠りから覚めたのは、平成2年(1990年)の11月17日。筆者はまだ30代半ばの若造だった。
元気も良かった!ひたすら食い、かつ飲み、ひたすら遊び(当時はゴルフでなくマージャン)、仕事にも熱心であった。
ただ、どう考えてみても「噴火災害」との遭遇は想定外の出来事だったし、「山」のことなど正直言って興味も何もなかった。
それがどうだろう…。明けても、暮れても、噴火三昧の日々。災害最中のさる講演会で「最低でも後10年は続くだろう…」との学者先生のご高説を拝聴した時には、我が身の運命を儚んだほどだ。
あれから20年―。山は静けさを取り戻し、周囲の環境も大きく様変わりした。年々歳々の思いを込めて…。
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