親和湊支店が〃復活〃…地元の熱意が本店を動かす
親和銀行島原湊出張所が8日付けで元の「支店」の地位に返り咲いた。平成18年7月以来、約4年半ぶり。すべてにおいて〃縮小傾向〃が続く中での見事な復活劇!何はともあれ、喜ばしい限りだ。
出張所長改め、晴れて第23代支店長に就任した堤浩三さんに心境を尋ねてみると、「スタッフともども、また新たな気持ちで頑張ります!」と満面の笑みで応えてくれた。
素人の立場からすると、「支店」と「出張所」の違いなど〃大差〃あるまいと思っていたが、「当座預金」や「事業向け融資」が再び出来るようになったことで〃利便性〃が大いに増すのだ、という。
取材のついでに同支店の「沿革」について話を聞いてみると、湊地区に親和銀行が誕生したのは戦前の昭和17年5月というから、人間で言ったら古希に近い年齢である。
当時の方々にどなたか知っている人がいないかと名簿をめくっていたら、いた!いた!2代目支店長の松永其寿さんだ。世代が異なるのでお会いしたことはないが、筆者の恩師で島原高校の前々校長を務めておられていた松永勇先生のお父様だった。
時代はぐっと下って昭和50年1月。現在地に移ってからの初代(通算では第9代)の支店長になられたのは、後に常務取締役まで昇進された、前島原商工会議所会頭の久部貞男さん(前プラスナイロン社長)だった。
ライバルの十八が「湊支店」というのに対し、親和の場合は頭に「島原」が付く。そのあたりの事情については聞くのを忘れてしまったが、両行の〃切磋琢磨〃で近隣の「みなと商店街」をはじめ島原の街全体が本来の活況ぶりを取り戻すことを願ってやまない。
話は相前後してしまったが、今回の「復活劇」については、地元の人々からたっての要望が寄せられていたというから、親和もなかなか味なことをするもんだ、と感心した次第。メデタシ!
ところで、先週末に出席したCATV関連のセミナーで、NHK大河ドラマ『龍馬伝』のチーフプロデューサー、岩谷可奈子さんの講演を拝聴する機会を得た。昭和39年生まれというからまだ40年代半ばの若さながら、なかなか味わい深い話をしてくれた。
個人的には「島原は何も取り上げてくれなかったくせに…」と些か腹立たしい思いで聞いていたが、「地域の活性化はまず土地の人間が地元のことを良く知ること!」という指摘には大いに納得がいった。
少なくとも明治維新の原動力となった龍馬や海舟がこの島原半島の地に足跡を残していったという歴史的な事実は、松尾卓次先生らのご尽力で広く地域住民にも知れ渡ったはずだ。
チャンスは必ず来る。皆さん、勉強して「その日」を待ちましょう!
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